
毎週お出かけ情報などをお届けしています。今週は絵画の展覧会のご案内です。
生誕140年竹久夢二展。今から140年前、1884年、明治17年に生まれ、大正、昭和にかけても活躍した画家、竹久夢二さん。
柔らかい独特な線で描かれた美人画が特に有名で、大正ロマンを代表する芸術家と言われております。
チラシを今日持ってきたんですけども、
女性の絵、こういう柔らかいタッチとか、
柳腰って言うんですか、女性が、s字形の曲線を描いた姿勢で立ってるっていう。
見たことありますよね。
あべのハルカス美術館でそんな有名人の傑作を集めた展覧会開催中なんですけども、今回は人間 竹久夢二の独特な魅力を展示されている作品と関連付けてちょっとお話したいと思います。
はい、全然難しい話じゃなくて、キーワードがあります。
こちらです。大正ロマンのモテ男、
実は竹久夢二。大正期の画家の中では抜きんでたモテ男だった。
えー、そうなんですか。彼を愛して、そして愛された女性が複数おります。
今で言うと、ちょっと週刊誌案件になりそうな場合もあったみたいなんですが、大正時代の話ですから、そこは代表的な3人の女性を、そのモデルになった絵とともにご紹介しましょう。
モデルになった絵、もちろんあべのハルカス美術館の会場にも展示されてます。
まず1人目です。お葉さんっていう方がおられます。
夢二が35歳の時に絵のモデルさんとして知り合った女性です。
実は、今回の展覧会のポスター、チラシにもなっている目玉作品、
これ、アマリリスっていうタイトルです。
花のアマリリスの前に和服姿の綺麗な人が座っているという絵なんですけども、この絵のモデルさんがお葉さんだそうです。
プロのモデルさんなんで他にも大勢の画家のモデルを務めてますし、ひょっとしたら画家の方とお付き合いをなさってたこともあったんだろうなという風に言われてるんですが
結局、深く愛し合って彼女のハートを射止めたのは、たくさんいる画家の中でも夢二だった。
えー、かっこいいな。
竹下夢二ね。写真もあるんですけど、そんな取り立ててね、イケメンってわけでもないんですよ。
眼鏡かけて、なるほど、いかにもアーティストだなっていう。
そんな美形でもないし、味のある感じではあるんですけど、なぜかなっていうのはちょっと思うんですけども。
やっぱりね、絵を見比べると会場で。はい、ちょっとわかるような気がします。
っていうのは、お葉さんをモデルにした絵ってのは、他の画家も当然描いてるんですけど、うまいんですけど、他の画家はなんかグッとこないんですよ。
自分がお葉さんモデルの身になってみると、やっぱり色っぽくとか、女性としての魅力を存分に引き出してるのは圧倒的に夢二の方なんで。
なるほどな
描けばいいってもんじゃないの。
そうなんすそうなんです。それ大事なことです。
はい。実は竹下夢二っていう画家は、ほぼ独学で絵の技術を学んだそうです。
タッチとか技法って言うんですか。独特なんですって。
さっき言いました、女性の体の線をアルファベットのsの字のようなカーブで描くっていうのも、その独特なタッチの1つなんですけども。
はい。目のまつ毛ってありますよね。はいはいはい。
あれを筆でしゅっしゅって書くのって、いわゆる西洋風の絵画の中では禁じ手だそうです。
そうなんですか。漫画じゃないので。うん。シュシュって書くんじゃなくて、その陰影で表現するのが西洋の画家のやり方で、はいはいはい。
でも、夢二はそれをしたんですって、絵によっては。
だから、他の正統派の画家からはものすごい馬鹿にされてた。
まっつけなんか書いとるで、こいつなんやねん。
でも、女性モデルさんにとったら、そんなん関係ない。
どっちが魅力的に描いてくれるかっていう点では、お葉さん的には夢二の方に惚れたんだなっていうのがよくわかるっていうことなんです。
その2、お2人目です。彦乃さんという女性がいました。
お葉さんよりも前、夢二が30歳の時に出会いました。
もともと絵の学校に通っていた当時18歳の女学生で、夢二、30歳。
12歳差。ファンです夢二先生って言って、訪ねてきたところで絵を教えてるうちにいい仲になる。
あら、18歳なんでギリギリセーフかもしれませんが、どっちかいうとあかん。
はいはい。
当然、両親は反対します。彦乃さんなるほど。でも、それを押し切って、夢二と駆け落ち同然に京都で暮らしたりするんですが、
悲しいことに結核を患って、彦乃さん、23歳の若さでお亡くなりになります。
はい。会場に青い着物という作品が。ありました。
あ、すごい。なんですかね、これ。
彦乃さんがモデルであろうと思うんですけど。はい。
青い着物を着て、砂漠なのかなって思うような背景ですね。
1人疲れたように座り込んでるんですよ。すごい曲線だな、これも。
夢二の絵ってどっちかって言うとカラフルでロマンチックな色使いなんですけど、ほぼ全然違う。
悲しいブルーがどこまでも胸の中に染みるような感じで、すごく印象に残る。
はい、これ、彦乃さんが亡くなって間もなく夢二が描いた絵だそうです。
悲しみの大きさ、愛の深さ。一旦愛した彼にはとことん愛し抜く。
そして亡くなってからでも忍んでこんなにもグッとくる悲しい絵を描くっていうところに、夢二の愛情の深さが感じられます。
3人目に行きたいと思います。はい、たまきさんという女性です。
この方。それよりもさらにさかのぼって、夢二が22歳の時に知り合った、ひょっとしたら最初のちゃんとした恋人だったのかもしれません。
さらに、唯一正式に結婚した女性。いわゆる戸籍上ってやつです。
会場にあったのが、りんごという、あの、縦書きのと言っていいんですかね、掛け軸にするような日本画風の作品です。
りんごの木の下で佇む目の大きな女性。彼女がモデル、たまきさんがモデルだそうです。
実際のたまきさんの写真もあったんですけども、関連書籍なんか見ましたら。
はいはい、ほんとに目がぱっちりしてて、うん、ハイカラな美人さんなんですよ。
これは惚れるわなっていう感じなんですが。実は夢二と知り合った時にすでに結婚歴がありまして
昔で言うと、この未亡人さん。なるほど。お2人の子供さんを抱えながら、東京で絵葉書屋さんを営んでいたそうです。
たまきさん、その時に絵はがき屋さんですから、画家の夢路とは交流があったのかな。
ちょっと夢二の方がふらっと入ったのかもしれません。
そこで夢二と知り合って、恋に落ちて結婚。
子宝にも恵まれるんですが。はい。夢二と結婚して2年後に離婚します
な。まあ、激しく愛し合うから、その分別れも早かったのかと思うんですが、
その後も縁が続いてまして、さっき言いました彦乃さんとか夢二に他に恋人がいる間も。
なんなら一緒に暮らしたりしてる。すごい。
さらに別れて暮らしてる間にまた子供ができたりしてるんですよ。
おー、
好き放題やってんな。夢二ね。今なら文春案件ですよ、
ダメです。今はね。うんうん。
コンプライアンス的にどうなのっていうとこなんですが。
はい。時代的におおらかだったっていうのもあるかもしれませんが、それ以上に竹下って奴は魅力的な男性だったのかなと。
そうですね。いい加減でひどい男みたいにして
週刊誌なら今なら書くとこなんですけど、そうじゃないんです。
夢二自分の描いた絵の作品をたまきさんに提供して、それを絵はがきとかいろんなデザインのグッズにしてもらって。
はい、たまきさんの暮らし向きが立つように支援してるんですよ、自分なりに。
はい、さよならで終わりじゃない。ハンコついて終わりじゃない。
三下り半で。一方のたまきさんは環さんで、夢二に寄りかかる従属した女性ではなくて。
ある日やってられんかブチ切れて、はい、育児も何もかもほっぽり出して家出したりしてるんですよ。
あら、なるほど。元より夢二は家のことなんかほとんどしないんで。
はいはいはい。多分、たまきさんか夢二の親御さんとか親類とか、縁のある方が代わって、子育て、その期間短いけどされてたんじゃないかなって思うんです。
はい。それぐらい たまきさん自身もキレる時は切れる、ぶち切れるっていう自立した女性だったみたいです。
色々ありながらも、夢二と最も長く最後まで縁が続いたのは、このたまきさんでございまして。
結局、なんだかんだ言いながら、
49歳で夢二が亡くなります。はい。病院へのお見舞いはもちろんなんですが、亡くなった後も、その病院、確か長野県の方だったんじゃないかなと思うんですけど、わざわざ足を運びまして、うちの人がお世話になりましたとお挨拶してお礼奉公に行っています。
はい。その病院で夢二亡くなってるんですけども、その病院で無償で働いたりしたそうです。
だからどんだけ夢二のことを慕ってて、妻、奥さんは私だけやからっていうので、最後まで。
その別れた後も自分の愛を全うした。亡くなった後まで。
それができるってのは本当に好きじゃないとできないし、嫌な男ダメンズだったらそうしないと思う。モテてたんだなと
ダメンズの奥にすごい優しさを持った人だったのかもしれないですね、夢二さんはね。
いろいろ竹久夢二から学んでまいりました。
いろんな見方をしていただいたらいいと思います。
よりすぐった絵や資料がおよそ180点。ほんとにいい展覧会でした。
生誕140年夢二展大正ロマンと新しい世界 あべのハルカス美術館で3月16日 日曜日まで開催です。
詳しい情報は公式ホームページをぜひご覧ください。
