カーリング!!北海道何もない極寒の常呂町から なぜ広まった?

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「カーリングが常呂町で広まった理由とは?」

北海道の小さな町・常呂町はなぜ日本カーリングの聖地となったのか? ロコ・ソラーレ誕生の背景に迫る。

なぜ常呂町がカーリングの聖地なのか

北海道のオホーツク海に面した小さな町、常呂町(ところちょう)。冬には気温が氷点下20度にもなるこの厳しい寒冷地が、日本カーリング界の中心地として知られるようになったのはなぜなのか?

日本のカーリングは決して全国的にメジャーなスポーツとは言えなかった。しかし、2018年の平昌オリンピックでロコ・ソラーレ(当時の名称はLS北見)が日本女子カーリング史上初の銅メダルを獲得したことで、一躍脚光を浴びた。その試合中に飛び交った北海道弁の「そだねー」は、同年の流行語大賞に選ばれるほどの影響力を持った。

しかし、常呂町はロコ・ソラーレが誕生する以前から日本カーリング界を支える町だった。国内でカーリング競技が本格的に行われるようになったのも、実はこの常呂町が大きく関わっている。

なぜ、この何もない極寒の田舎町がカーリングの聖地と呼ばれるようになったのか? その歴史をひも解いていこう。

カーリングの歴史と日本での発祥

カーリングの起源と世界での広まり

カーリングは16世紀ごろのスコットランドで生まれたスポーツだ。凍った湖や川の上で石を滑らせ、標的に近づける遊びが競技化したのが始まりとされる。その後、カナダや北欧に広まり、特にカナダでは国技のひとつと言えるほどの人気スポーツとなった。現在でもカーリングの競技人口はカナダが世界一で、国際大会でも圧倒的な強さを誇る。

冬季オリンピックの正式競技として採用されたのは1998年の長野オリンピックからだ。これにより日本でも徐々にカーリングの知名度が上がっていったが、それ以前からこのスポーツに親しんでいた地域がある。それが北海道・常呂町だった。

日本にカーリングが伝わった経緯

日本にカーリングが伝わったのは1970年代とされている。北海道に移住したカナダ人や、海外との交流を通じてこのスポーツが紹介された。当初は北海道の一部地域でしかプレーされていなかったが、1979年、常呂町に日本初の屋外カーリング場が作られたことで、競技として本格的に広がり始めた。

常呂町の人々は、積雪の少ない気候と極寒の環境がカーリングに適していることに気付き、独自に競技を発展させていった。こうして常呂町は、日本におけるカーリングの発祥の地としての地位を確立していったのだ。

常呂町でカーリングが広まった理由

① 北海道の気候と環境がカーリングに適していた

常呂町がカーリングの聖地になった最大の理由の一つは、その厳しい冬の気候だ。オホーツク海に面したこの地域は、冬場の気温が氷点下20度近くまで下がるが、意外にも雪は少ない。この気候条件が、屋外のカーリングリンクを作るのに理想的だった。

1979年、町の有志たちが日本で初めて屋外カーリング場を作り、カーリング文化の基盤を築いた。実はこの時、町の未来を思い描き、カーリングを広めることを決意した一人の男がいた。

② 町の酒屋の“じっちゃん”が描いた夢

常呂町でカーリングの普及に生涯をかけた人物がいる。小栗祐治(おぐり ゆうじ)、地元の酒屋の店主だった彼は、「カーリングこそが、過疎に苦しむ町を救う鍵だ」と信じ、40年以上にわたり競技の発展に尽力した。

当時の日本では、カーリングはほとんど知られていなかった。だが、小栗は「この競技は町の未来につながる」と考え、1979年に日本初の屋外カーリングリンクを常呂町に作ることに尽力した。最初は町の人々も「そんな競技、流行るわけがない」と半信半疑だったが、小栗の熱意は周囲を巻き込み、やがてカーリングが町の文化として根付いていった。

③ 少女たちがカーリングと出会い、世界を目指す

そんな環境の中で育ったのが、後に世界で戦うことになるロコ・ソラーレのメンバーだった。

オホーツク海を望む極寒の港町で生まれた少女たちは、学校の授業や地域のクラブ活動を通じて自然とカーリングと出会う。常呂町では、幼い頃からストーンを投げ、仲間と作戦を考えることが当たり前のように受け継がれてきた。そして彼女たちは、小栗をはじめとする先人たちの思いを背負いながら、世界の舞台へと羽ばたいていった

小さな町の小さな氷上で始まったカーリングが、日本中を熱狂させるスポーツへと成長する。ロコ・ソラーレの成功は、まさに小栗祐治の思い描いた夢が現実となった瞬間だった。

ロコ・ソラーレ誕生と成長の軌跡

① チーム結成のきっかけと地元の支援

ロコ・ソラーレ(Loco Solare)の誕生は、2006年に遡る。このチームの設立には、元日本代表選手であり、現在は指導者としても知られる本橋麻里の存在が大きかった。

本橋は、2006年トリノオリンピックで日本代表として出場した経験を持つが、大会後に「地元・常呂町の若手選手とともにカーリングの新しいチームを作りたい」という思いを抱き、2009年にロコ・ソラーレを結成

「ロコ(Loco)」はイタリア語で「場所、地元」、「ソラーレ(Solare)」は「太陽のような、明るい」という意味を持ち、チーム名には「地元を大切にしながら、明るく輝くチームを目指す」という思いが込められている。

地元の人々もこのチームの成長を応援し、北見市の企業がスポンサーとなるなど、町ぐるみで支援する体制が整った。こうした地域のバックアップが、ロコ・ソラーレの躍進を後押ししたのだ。

② オリンピックでの活躍と人気の拡大

ロコ・ソラーレが日本全国に知られるきっかけとなったのは、2018年平昌オリンピックだ。チームは日本カーリング史上初となる銅メダルを獲得し、その試合中に飛び交った北海道弁の「そだねー」が流行語大賞に選ばれるほどの社会現象となった。

さらに、2022年の北京オリンピックでは、ついに銀メダルを獲得し、日本カーリング史上最高の成績を残した。ロコ・ソラーレの明るくチームワークを大切にする姿勢は、多くのファンの心を掴み、日本におけるカーリングの人気を飛躍的に向上させた。

常呂町という小さな町から生まれたチームが、世界を相手に戦い、そしてメダルを手にした。この成功の裏には、常呂町の長年にわたるカーリング文化の積み重ねと、それを支え続けた地元の人々の力があったのだ。

まとめ:常呂町のカーリング文化の未来

① 次世代育成とこれからの課題

ロコ・ソラーレの成功により、常呂町は日本カーリング界の象徴的な存在となった。オリンピックでの活躍をきっかけに、全国的にカーリングへの関心が高まり、若い世代の競技人口も増えている。

しかし、競技のさらなる発展には課題もある。カーリングは専用のリンクが必要なため、都市部では練習環境の整備が十分に進んでいない。常呂町のような地域密着型のカーリング文化を、全国的にどう広げていくかが今後の大きな課題となるだろう。

一方、常呂町では次世代の選手育成に向けた取り組みが進んでいる。地元のジュニアチームの強化はもちろんのこと、カーリングスクールの開設や、全国の若手選手が常呂町で合宿できる環境づくりなどが検討されている。

② 常呂町が今後も「カーリングの聖地」であり続けるために

常呂町がカーリングの聖地として発展を続けるには、地域全体で競技を支えていくことが不可欠だ。町にはすでに、全国から選手が集まる**「アドヴィックス常呂カーリングホール」**があり、ここを拠点にさらなる強化が期待されている。

また、カーリングの魅力をより多くの人に伝えるために、観光と連携した取り組みも重要だ。カーリング体験ツアーや、ロコ・ソラーレの活動を間近で見られるイベントを増やすことで、町の活性化にもつながるだろう。

ロコ・ソラーレの合言葉である**「Enjoy!」**の精神を大切にしながら、常呂町はこれからもカーリング文化を守り、発展させていくに違いない。

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