京都府の伝統工芸品

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京都府は、世界的な観光地・京都市を要すし、南北に長いのが特徴で

す。京都市内には清水寺や金閣寺・北野天満宮と言った有名寺院が数

々あります。

自然美を堪能できる嵐山エリアや貴船エリア、街歩きに最適な祇園エ

リアと言ったエリア周遊観光も ok 京都市外では国宝の平等院鳳凰堂

を要する宇治市や日本三景の一つ天橋立がある宮津市など京都府は、

多岐にわたって楽しめる観光エリアです。

京都府の伝統工芸品について書きます。最初は丹後ちりめんです。

 

丹後ちりめん

 丹後ちりめんが、絹の風合い感触を最高に発揮する織物になったの

は、享保5年(1720年)のことです。

峰山の人、絹屋佐平治が京都西陣の機屋へ奉公し、秘伝の技術・糸繰

り・糸口の仕掛け・シボの出し方などを苦心惨憺の末に学び取り、丹

後へ持ち帰って、今日の丹後ちりめん技術の礎を築きました。

丹後の国は、古くから絹織物を産するところで絹紬や精好織(せいごう

おり)という高級品を作っていました 。

しかし京都の西陣でお召しちりめんという新しい織物が開発され、それ

まで有名だった丹後精好も田舎絹と言って相手にされなくなったそうで

す 。

そこで丹後織物の事を心配した佐平治は、西陣のお召ちりめんのように

織り上がった布の表面にシボというボツボツの織り模様ができる織布を

作り出そうと色々工夫を凝らし西陣の織家に奉公に行き糸よりや織りの

技術を学び研究に打ち込んでいったそうです。

佐平次は何度も失敗を繰り返す中で、何とかよい工夫がないかと、信仰

している禅定寺の聖観世音菩薩に、7日間の断食祈願をかけ祈ることに

したのです。

夢の中に聖観世音菩薩が現れ、その声を聞いたのです。

長い苦労の末、出来上がったちりめんは、西陣のお召ちりめんよりもっ

と厚手で、シボも高い、峰山独特の丹後ちりめんでした。

佐平治は、名前を森田治郎兵衛と改め、ちりめんの祖と仰がれていま

す。

次は、京表具について書きます。

京表具

京の歴史は西暦794年の平安遷都以来、様々な時代において日本の美と

文化を育んで今日に至っています。

伝統的な美と文化の継承に不可欠であるのが、大切な書や絵画を保存し

装飾することが使命とする表具師の存在です 。

表具とは布や紙などを複数枚貼ることによって作られる巻物・掛け軸・

屏風・襖などを指します。

表具とは別名「表装」とも呼ばれ、経や書画を鑑賞・保存するために生

地や紙を貼って裏打ちする技術のことで掛け軸・襖・額・屏風・巻物な

どに仕立てることでもあます。

表具は生産地である各地域によって特徴があります。

有名なものは、「三大表具」と呼ばれています。

発祥の地である京都の「京表具」江戸の「江戸表具」そして金沢の「金

沢表具」す 。

表具は、中国から渡来した後に、日本の国内で独自の発展を遂げまし

た。

現在は、和室・和歌の減少により実用から鑑賞をメインする作品が多く

なっているそうです。

清水焼

清水焼は、京都府で焼かれる陶磁器で清水寺の参道である五条坂界隈に

清水六兵衛・仁阿弥道八/青木木米をはじめとする多くの窯元があった

のが由来とされる、京都を代表する焼き物である。

西陣織

京都市西陣で織られる織物です。

機業は、平安時代の織部司以来の伝統をひき、紋織物の生産では日本最

高の技術を持っていたが、応仁の乱で技術者が京都を離れ,乱のとき、

山名宗全の西軍が本陣を置いていたことにちなむ。

乱後16世紀頃から再び京都西陣付近に集まり復活した。

江戸時代には明の技術を学び、幕府の保護を受けるなどして高機を用い

て金襴・緞子・ 斜子・絽 などのほか、五彩以上の糸で各種の文様を織り

出した唐織錦や綴錦など高級紋織物を生産した。

明治以降は、ジャカード機の採用など近代化を図り、製品の種類が飛躍

的に増え、和服地、帯地などの絹織物のほか、近年ではオートメ化も進

行しウール、化繊物の生産も行われ用途もネクタイ、マフラーなどの服

飾品や室内装飾品など広範囲である。

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