紀州へら竿
ヘラブナは、琵琶湖にだけ生息していた体高の高い突然変異のゲンゴロ
ウブナを改良して作られた人工的な魚です。
大きいものでは、体長60cm 、重さ3kg 以上にも達します。
ヘラブナ釣り用の「へら竿」は、穂先が真竹で、それに高野竹、矢竹を
つなぐ継ぎ竿です。
創始者と言われる竿五郎は、大正13年二代目竿正の弟子となり、チヌ竿
を作っていましたが、竹材店で見つけた高野竹(スズ竹)が細い割に肉
厚なので張りがあり[へら竿」に最適だと考え、高野竹を完成させたそ
うです。
現在の良質の高野竹を産する、和歌山県橋本市で高度の技術を持ったさ
お師さん達が、機能性と芸術性を併せ持つ「紀州へら竿」を一本一本作
り続けておられます。
一本の完成に半年かかることもあるそうです。
「紀州ヘラ竿」は、太公望憧れの竿となっています。紀州ヘラ竿は、竹
伐りや竹を繋ぐ生地組み、竹をまっすぐに伸ばす火入、漆塗り、穂先削
り、握り部分の装飾、仕上塗り、と繊細で根気と丹精込めて作る日本の
工芸品の一つである 。
地元の若者達が大阪のへら竿師、溝口象二さん(1857から1922)から
和竿の作り方を学び、以来、橋本の産業となりました。
最盛期の1950年代には、100人近くの竿師の方々がおられましたが、
カーボンやグラスファイバー製の竿に押されて、今では半減したそうで
す。
「ヘラブナ釣りは和竿が最適」と根強いファンが多く、1988年(昭和63
年)には和歌山から、その歴史、技法、品質などが認められ県の伝統工
芸品第1号に規定されました。
へら竿師の皆さんの努力により、平成25年3月に「紀州へら竿」は、国
の伝統工芸品として認定されました。
現在も、師匠から弟子に技が伝承されており、紀州製竿組合を始め、和
歌山県橋本市が協力して後継者育成、事業開拓などに勤めておられるそ
うです。
皆さんの努力が報われることを願っております。
次は、紀州漆器について書きます。
紀州漆器
紀州漆器は、和歌山県に伝わる伝統工芸品の一つです。
会津漆器、輪島塗山中漆器などとともに全国三大漆器の一つと言われて
います。
主な産地は海南市黒江です 。
室町から戦国時代に、近江系の木地師集団が定着し、紀州桧の木地に木
の椀を製造したのが始まりとされています。
黒江においては、江戸時代初期の「毛吹草」中期「和漢三才図会」後期
「紀伊続風土記」に記されていることから、江戸中期から後期には広く
諸国に出荷されるようになっていたことが窺えるそうです。
紀州藩は、黒江椀製造地域を黒江に限定し、漆器産業を保護しました。
当地の発展に、大きな影響を与えたと考えられます。
昭和になると天竜塗り・錦光塗・シルク塗りなど変り塗が考案された。
1978年(昭和53年)国の伝統工芸品に指定。
お盆を買った方は、上品な光沢で、高級感があり、料亭のような感じに
見え、とても雰囲気よく すばらしいと大変気に入っていました。
紀州箪笥
1846年落雷によって、和歌山城の天守閣などが炎上し、多くの道具類が
失われました。
その後、天守閣が再建され同時に、道具類も作り直されたという記述が
残っているため、江戸時代後期には、すでに和歌山城下には長持ち等の
箱物などの製作技術があった事が窺われます。
また和歌山県の各地の商家や町屋でも、江戸時代後期の箪笥や婚礼に関
する故書が発見されていることから、和歌山を中心に武家以外でも婚礼
調度品としての箪笥が製造されたと思われます。
明治時代、大阪圏の需要を満たす箪笥産地として発展し、地元の需要も
増加しました。
上品な木目の美しさとシンプルで繊細なデザインが、人々を魅了する紀
州桐箪笥は、今も和歌山を中心に生産され続けています 。
釘を一切使わない、この桐箪笥を私の母も持っていた事を思い出しました。
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