埼玉県の伝統工芸品

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埼玉県の観光地といえば、都心から近いのにそれほど注目されていな

い。魅力的な観光地がない どこへ行けばいいのか わからないと言わ

れているけれども 探せばあるものです。ゆっくり散歩しながら緑や水

の流れ、子供連れにもデートにもぴったりなのが、あけぼの子どもの森

公園、航空記念公園、東武動物公園、こども動物自然公園、長瀞渓谷、

羊山公園 おもしろい建物・施設・風景として首都圏外郭放水路、聖天

宮、鉄道博物館、川越蔵作りの町並みなど グルメとして川越太麺焼き

そば、草加せんべい、行田フライなど行ってみたらどうでしょうか。

それでは、埼玉県の伝統工芸品の話に入っていきます。

 

岩槻人形

私は、まったく知らなかったのですが、埼玉県さいたま市岩槻区は、

「人形の町」といわれる町なんだそうです。岩槻には多くの人形職人の

方々が居られ 多くの人形販売店があるのです。人形の町といわれるの

は、江戸時代初期 当時三代将軍 徳川家光は、日光東照宮を大きく作

り変えるために 腕利きの職人を集めたそうです。職人の中には岩槻に

そのまま定住する職人が多くいたそうです。その職人たちが人形作りを

始めたのです。当時岩槻周辺は、桐の木が豊富な産地であったことと人

形の顔を作るに きれいな色を出すため重要な水に恵まれていたので

す。幕末には、岩槻藩の専売品に指定されるほど重要な産業となり 今

日に至っています。日光東照宮で見ることができる豪華絢爛な装飾品の

数々は、岩槻人形とまったく同じ技法でできていることは、大変興味深

いことです。岩槻で作られている「江戸木目込み人形」「岩槻人形」

は、経済産業大臣から伝統工芸品に指定され、生産量・生産額ともに日

本一の人形の町となっています。

 

押し絵

押し絵とは、厚紙に羽二重の布をかぶせ 中に綿を入れて膨らませてく

るむ技術で押し絵師は、綿の入れ具合 綿をくるむ方向 布の使い方に

よって歌舞伎役者が見得を切ったときの表情や仕草などを躍動的に描き

ます。春日部の押し絵羽子板は、戦後にかけて、浅草の押し絵師たちが

戦禍と雑踏から逃れ、良質の桐の産地であった春日部移り住んだことに

始まり すべてが手作り 全部で50~70もの材料を組み合わせ お

よそ200もの工程をかけ一枚の押し絵羽子板として仕上げられます。

男物は不景気をはねのける縁起物として、女物は祝い物として飾られて

います。私が思い出すのは、子供のころに羽子板に絵を書いてあるものを

買ってもらって お正月に羽根突きをしたことぐらいです。押し絵の

羽子板は、年末の商店に飾ってあるのを見て「誰があの押し絵羽子板を

使うのかな~」「重たいのに羽根突きできるんかな~」と子供心に思っ

ていたどうでもいい話でした。

 

小川和紙

小川和紙の歴史から述べます。緑豊かな山々にかこまれた小川盆地、山

間を槻川や兜川の清流、都心に近いという地理的条件と原材料となる資

源が豊かだったことが伝統工芸の歴史を作ってきたそうです。和紙の歴

史は、古く1300年も前から和紙作りが行われていたとのことです。

武蔵国(埼玉県)には高麗の帰化人が多く 彼らによって武蔵の紙は広

められ手漉きの技術をもたらしたのが小川和紙の始まりだといわれてい

ます。和紙は、厳しい寒さと水が冷たいほど 良いものができるという

ことです。小川和紙は、和紙の工芸品、障子紙、掛け軸の表装紙、ちぎ

り絵、貼り絵用紙などに使われているそうです。

 

加須の鯉のぼり

五月の青空に鯉のぼりがあがる光景は、最近すっかり見かけなくなりま

したが懐かしい風景ですな。加須のこいのぼりは、生産日本一の町で

す。明治の初めに傘やちょうちんを作っていた職人が副業として始めた

ものだそうです。加須の手書き鯉のぼりは、金や銀を使った豪華絢爛な

色彩で描いては乾かすの 繰り返すのが特徴です。職人が刷毛で一筆一

筆精魂こめて 一ヶ月以上かけて作り上げるこいのぼりは、まるで生き

ているかのよう勢いがあり そして美しく可憐です。

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