奈良の都 平城宮の恩人 棚田嘉十郎を忘れてはいけない 過去から未来へ 

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平城京の終焉、そして復原へ

 

あをによし 寧 楽の京師は咲く花の薫ふがごとく 今盛りなり

(訳:青丹も美しい奈良の都は、咲き盛る花の輝くように、今盛りである)」

と賛美された奈良の都・平城京。

貴族中心の天平文化が花開いた奈良時代は、古代国家の基本法「律令」に基

づいた、天皇をトップとする中央集権的な国家体制が確立した時代といわれている。



そんな奈良時代は平城京遷都(七一〇年)とともに始まり、平安京遷都(七九四年) を

もって終わりを迎える。

その間、わずか88年。

これほどに奈良時代が短かった原因の一つに、政治と仏教の癒着があったといわれている。 

特に奈良時代後期はそれが激しく、勢力を持つ大寺院とのしがらみを根こそぎ絶つた

め、時の天皇・桓武天皇が遷都を決意、奈良にいては政教分離ができぬと平城

京から長岡京、そして平安京へ脱却したという一説があるのだ。

 

主を失った美しい都は次第に荒廃し、一部は農地化された。

その後、平城京の中心であった平城宮は土に埋もれ、人々の記憶から忘れ去られていった。

 

それから随分と長い時を経た明治末期、研究者らによって奈良時代の都の姿が次第に明らかとなった。

同じ頃、かつての美しい平城宮跡を保存しようと立ち上がったのが、

地元出身の植木職人、棚田嘉十郎氏である。

彼が発起人となって組織した「平城宮址保存会」をはじめ、平城宮跡の保存活動は徐々に賛同者を得、また棚田嘉十郎の私財を投じた数々の努力は、やがて国家をも動かすことになる。

彼の死後、平城宮跡地は国に献上され、大正11年(一九二二年)に平城宮第二次大極殿・朝堂院跡が史蹟に指定されたのである。

 

現在、第一次大極殿や朱雀門 大極門(第一次大極殿院南門)が次々に復原され、往時の都が再現されようとしている。 

朱雀門ひろばの「平城宮いざない館」の前には、平城宮跡の保存活動にその生涯を賭けた棚田嘉十郎氏の銅像が立っている。 

この銅像の目は、かつて荒廃してしまった平城宮が蘇る姿を見つめているに違いない。

 

竹田 進 記者の記事から転載しました。



一見優雅な奈良の女官、実は59歳で年329日の超激務…平城宮跡から昇進査定用の木簡

 

 奈良市の平城宮跡で出土した木簡に、天皇に仕えた女官の勤務日数が書かれていることが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

昇進などを査定する際に使われた奈良時代の「考課木簡」とみられ、女官のものが見つかるのは初めて。

59歳の女官が年間329日働いていたことが記されており、奈文研は「当時としてもかなりの激務に励んでおり、女官の仕事ぶりがわかる貴重な資料」としている。(土谷武嗣)

 

宮の東部にあった役所群「東方 官衙かんが 地区」で奈文研が2020年度に実施した発掘調査で出土。

排水路跡から約6300点の木簡群が発見され、その中に含まれていた。

 発見された木簡は、長さ16・5センチ、幅2・58センチ。一緒に出土した土器から奈良時代前半とみられる。女性名を示す「 牟須売むすめ 」、年齢は「年五十九」、本籍地は「左」とあり、平城京の左京を示すと考えられる。

 勤務日数は「 日参佰弐拾玖にちさんびゃくにじゅうく 」と記されており、1年間に329日働いていたらしい。

評価や官職、位階が書かれていたとされる上部は失われていた。

 女官は朝廷に仕えた女性官人のことで、内裏に住む天皇の身の回りの世話などを担当していた。

 奈文研によると、良い評価を得るためには年間240日以上勤務する必要があり、最低限の日数で済ませる役人が多いという。

300日を超える日数の考課木簡は少なく、同時に出土した男性役人の考課木簡は284日だった。

 調査した奈文研の桑田訓也・主任研究員は「ベテランの女官で、周囲からも頼りにされていて、休みづらかったのかもしれない。

女官の勤務状況の実態を探る手がかりになる」と話している。

 この木簡の成果は、奈文研が発行した「紀要2022」に掲載されている。

 

 

平城宮跡を貫く近鉄線「移設計画」は実現するか

40年前からの懸案が進展、しかし課題は山積



私は1980年代末から、奈良市内に住んでいます。住み始めたころ、不思議に思ったのが近畿日本鉄道(近鉄)奈良線の大和西大寺―近鉄奈良間。小学校でも習う奈良時代の首都、「平城京」の宮跡(国営平城宮跡歴史公園)を横切っているのだ。

平城宮跡は国の特別史跡で、1998年には世界遺産に登録された文化財。

その「内部」を電車が通り抜けていることに違和感を覚えた。

実際、当時から景観上の問題が指摘されていた記憶がある。

しかし、この問題が解決されるかもしれない。

奈良県・奈良市・近鉄の3者は2020年7月16日、奈良県の線路移設案を基本に協議する方向で合意。

これまで移設に反対していた近鉄が譲歩し、次の段階へ進むことになった。

奈良県案では大和西大寺駅付近を高架化し、宮跡の西側を高架橋で南下。

宮跡南側の奈良県道1号・国道369号(大宮通り)に沿って東に進みながら線路を高架、地上、地下へと移し、既に地下化されている近鉄奈良駅付近の線路に合流する。

現在の新大宮駅を新ルートに移すほか、2つの新駅を設ける。

高架から地上、地下に移る地点をどこにするかなどの細部は今後の協議次第だが、いずれにせよ踏切は設置しない方向だ。

この案通りに完成した場合、宮跡内から近鉄奈良線の線路と電車の姿が消える。

さらに大和西大寺駅付近から新大宮駅付近にかけた8カ所の踏切も解消。

ラッシュ1時間のうち最大約50分遮断される「開かずの踏切」がなくなり、道路渋滞の緩和が図られる。

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