山形県の伝統工芸品

未分類

山形県は、果樹王国として全国的に知られています。主な生産品として

は、サクランボ、ブドウ、ラ・フランスなどがあります。サクランボの

高級ブランド佐藤錦は、赤い宝石と呼ばれ有名です。

主な産業としては、鋳物(山形市)、将棋駒(天童市)、金魚(庄内金

魚)

イベントとして花笠祭り、人間将棋、芋煮会がある。最上川、銀山温

泉、蔵王、かみのやま温泉など観光資源に恵まれ温泉や歴史遺産も豊

富でラーメン、麺類も楽しさが増しますね。

 

山形鋳物

全国でいち早く国の伝統的工芸品の指定を受けました。山形鋳物の起源

は、東北でで前九年の役が起きた平安後期、源頼朝軍と一緒に山形に来

た鋳物職人が、川の砂や付近の土が鋳物の型に適していることを発見

し、この土地に残り鋳物づくりを始めたと言われています。その後南北

朝時代に、金具を鋳物師に作らせた記録が残っており、産地が形成され

ていたと考えられています。江戸時代になると山形城主の最上義光は、

商工業の発達を目的に城下町を大きく再編し、鍛治町と銅町を置き優遇

しました。銅町の鋳物職人、こうした土壌のもと、日用品や仏像を生

産。出羽三山参りがの参拝客のお土産品として人気が上がり拡大して

いきました。

こうした長い歴史の中で、山形鋳物のメッカ銅町は多くの名工を輩出し

てきました。 梵鐘、 灯篭、茶の湯釜など、 伝統に裏付けされた技術で

山形鋳物の名声を高めてきました。 なかでも茶釜や鉄瓶、花瓶、鉄鍋

と言った生活工芸品は、昭和50年に国の伝統的工芸品の指定を受けて

います。 人々の暮らしに潤いを与える美術作品、オブジェ、アクセサ

リーなど 生活用品として 箸置き、ティポット、急須、フライパンな

ど作られ またステンレス、アルミ、鉄など異なる金属の組み合わせも

あり、一口に金属の鋳造品と言っても、素材や技法、作り手の感性に

よってさまざまな表情の製品がでてきてます。ティポットなどは、伝統

工芸と現代的なデザインが融合、コラボしてすごくオシャレですよね。

 

天童将棋駒

山形市の北側に隣接する天童市が、日本一の生産量の多い将棋駒産地で

す。 古代インド発祥とし奈良時代に日本に伝わりました。 各地の遺跡

で発見された古い駒から、かっては貴族や武士が自分で駒を作り将棋を

指していたことがわかります。本格的な駒づくりは、安土桃山時代末に

確立し、江戸時代の入ると家元制度が成立し 将棋は庶民の間に普及し

ていきました。天童で将棋駒づくりが始まったのは、江戸後期で、 当

時 天童織田藩の財政は、窮乏していました。そこで織田藩は、かって

米沢藩から技を学び 駒づくりで財政を立て直そうと藩士たちに奨励し

た。駒作りが本格的な産業になったのは明治に入ってからで 旧藩士が

木地師と書き師に分かれて分業生産を始めたことで、天童は大量生産地

になって行きました。大正に入ると生地の機械化を開発 町を挙げての

分業体制に入りました。押し駒(スタンプ駒)も導入した昭和初期に

は、大阪を退け手、日本一に成長しました。しかし昭和30年代のピー

クを境に、押し駒と書き駒は急速に衰退し 変わって彫り駒が主流とな

り40~50年代には高級駒の技術研究も始まり現在では、機械による

彫り駒を中心に大衆駒から中高級駒まで、あらゆる駒を作る生産地に

なっています。

天童の将棋駒は、生産を拡大させただけでなく、地域全体の発展のため

「子供将棋大会」各種将棋大会を毎年開催し、将棋文化を次世代に普及

させています。また、桜まつりの時期に開催される「人間将棋」では、

「将棋駒のまち天童」を県内外に広くアピールしている。名工と呼ばれ

る職人たちによる手技の駒は、平成8年に国の伝統的工芸品に指定され

ました。昔 子供のころおじいちゃんと将棋をしたことが なつかしく

思い出されます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました