東京都の伝統工芸品

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東京には、有名な観光スポットが いっぱい。一日では回りきれない観

光名所で溢れています。初めて観光する場合「どこへ行けばいいのか良

いのか」と迷ってしまいます。必ずおさえておきたい定番を紹介しま

す。東京スカイツリー、東京タワー、東京駅、六本木ヒルズ、歌舞伎

座、歌舞伎町、皇居、浅草寺、雷門、国会議事堂、竹下通り、両国国技

館、レインボーブリッジ、お台場海浜公園、フジテレビ本社ビル、東京

ドームシティ、すみだ水族館、上野動物園、国立西洋美術館、明治神宮

、靖国神社など まだまだ紹介できないほどです。

それでは、伝統工芸品の話をはじめましょう。さすが 花のお江戸、伝

統工芸品の数が、40以上もあるそうですね。すごい!

村山大島紬

村山大島紬の前身は、武蔵村山市周辺から埼玉県飯能市、入間市あたり

一帯では、19世紀前半から絣の生産が行われ、錦織の「村山紺絣」と

玉繭の絹糸を用いた「砂川太織」といわれています。地色は、青みが

かった灰色で、藍や独特の赤を用いたモダンなデザインです。文様の彫

刻を施した木の板を用いて意匠を染める技法など大島紬とは異なる特徴

を持っている。村山大島紬は、高級品とされる大島紬(糸を奄美の泥で

染めた後、染色する)よりも安価な普及品、普段着用と位置づけされ普

及が進みました。現在着物はもとより ネクタイ、ペンケース、巾着、

小銭入れなどがあります。昭和50年「通産大臣指定 伝統工芸品」昭

和57年に「東京知事指定伝統工芸品」に指定されました。

江戸切子

江戸時代に加賀屋久兵衛という職人が、西洋の華麗なガラスに魅了され

、江戸大伝馬町で金剛砂を用いてガラスを彫刻したことが始まりとされ

ています。同じ切子でも 知っておられると思いますが、九州の薩摩切

子の特徴は、色被せの厚み(ガラスの厚さ)2~3mm緩やかな角度で

カットすることにより生まれる色のグラデーション(ぼかし)が特徴で

す。反対に 江戸切子は、色被せの厚みは、1mm以下 鋭い角度で

カットすることにより色のコントラストをきかせるそうです。1873

年(明治6年)明治政府の殖産興業政策の一環として品川興行社製造所

が開設され、日本での近代的な硝子生産の試みが始まりました。188

1年(明治14年)には、当時最先端の技術を持ったイギリスからお雇

いした外国人 カットガラス技師 エマヌエル・ホープトマンを招聘し

技術導入が行なわれ 数名の日本人が師事、近代的な技法が確立され以

後、発展したのです。江戸切子のルーツは、長崎へ入ってきた蘭学に

よる硝子技術、また薩摩切子廃絶に伴う技術の移転そしてイギリス・ア

イルランドのカットグラス技術が融合していったと考えられる。

大正期から昭和初期にかけて大正文化・モダニズムの時代にカットグラ

スは、人気となり食器からランプにいたる多様な形で普及する。第一次

世界大戦に伴う産業構造の変化、素材の研究、クリスタルガラスの研磨

の技法の開発もあって高級品の代名詞的存在となったそうです。戦後主

な生産地だった江東一帯は、壊滅的な打撃を受けた。その荒廃の中から

各メーカーや問屋に加え軍向け工学レンズからガラス食器に参入し世界

的なクリスタルガラスブランドへと発展した保谷硝子などのカットグラ

ス生産に切子職人たちが関わり復興していく。

東京三味線

日本の三味線の起源は、中国の三弦にあります。三弦は中国の元に起こ

り、14世紀末には琉球国に伝わり蛇皮をもちいたので蛇皮線と呼ばれ

ました。三弦が琉球から日本本土に伝えられたのは、室町時代末期永禄

年間の事で境野港に入ってきたと考えられています。当時琵琶法師が蛇

皮線を用いて小唄や踊歌などにあわせて弾いている間に蛇皮が破れたの

で、他の動物をいろいろ試し、猫の皮を用いる事にしたのです。こうし

てわが国独特の三味線ができたのです。江戸で発達したのは、寛永のこ

ろ名匠が現れ、歌舞伎の長唄、義太夫、常盤津、清元、新内の邦楽の発

達とともに三味線作りも発達したのです。三味線の音を聞くと気持が落

ち着くような感じがしますが、いかがでしょうか。

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