茨城県の伝統工芸品

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茨城県の観光と言えば、日本の滝百選に選ばれている袋田の滝や伊師浜

海岸など、自然の美しい観光スポットが多い。県中央には、弘道館や偕

楽園などの歴史的建造物があり、南部には、牛久大仏やシャトーカミヤ

などのスポットがあるので 旅行の際は行ってみたいものです。

伝統工芸品の話に戻ります。

笠間焼

茨城県の工芸品である笠間焼は、江戸時代中期1770年代から作られ

始めた。箱田村(現在の笠間市箱田)の名主、久野半衛門道延が、滋賀

県近江信楽の陶工長衛門を招いて 窯を作り陶器を焼いたのが始まりと

されているそうです。笠間藩主の仕法窯として保護され甕(カメ)、擂

り鉢などの日用雑貨が作られました。時代の転換に伴って生産の変化な

ど経て 関東地方では、益子と並ぶ大きな産地として知られています。

笠間焼の特徴は、笠間粘土や花崗岩の風化によって出来た鉄分を多く含

む蛙目(がいろめ)粘土と呼ばれる陶土で作られている。笠間粘土は、

粘りが強く 粒子が細かいため焼き上がりが丈夫で当時の日常雑器とし

てとしては、理想的な土だったのです。戦後は、プラスティック製品な

どが入ってきて、人々の生活様式も大きく変化し、笠間焼の需要が減り

窯元は、今まで経験したことのない危機に陥りました。そんな中 県立

窯業指導所、窯業団地、笠間焼協同組合などが設立され官民一体で試行

錯誤の末 厨房用祖陶品から工芸陶器への転換が実現し平成4年に伝

統工芸品に指定され 現在では、300人に近い陶芸作家や窯元のいる

窯業産地となっているのです。

さてここで一休みして 茨城の名物の食べ物について書きますね。

茨城と言えば、全国の皆様が知っておられると思いますが、ダントツ

納豆ですね。まず納豆の語源は、「納豆」という文字が最初に出てきた

のは平安時代に藤原明ひらが書いた書物の「新猿楽記」の中に納豆と言

う言葉が出てくるそうです。納豆の語源は、寺の納所(台所)で大豆を

原料に作られたから納豆と呼ばれた。茨城県に残る話によると、源義家

が奥州遠征への途中、水戸付近で休息した時 馬のえさにする藁の上に

捨てられた煮大豆がほどよく醗酵しているのを発見 義家自ら食べてみ

たところ 美味であったことから家来に命じて研究させたのが、糸引き

納豆の始まりと言われています。納豆の商品化は、江戸中期に始ま

りました。次に100年の歴史をもつ大穂ほうきについて話します。

大穂ほうき

茨城県つくば市周辺は、陸稲、落花生などの産地でしたが、明治後期に

栃木県鹿沼市でほうき作りの奉公をを終えた中島武平がほうき草(別名

ホウキモロコシ)の種子を持ち帰り、栽培方法、製造方法を広めたそう

です。ほうき草は、火山灰土のこの土地に適していたために作付面積

は、急激に増え農家の人々の貴重な副業になったのです。やがて専門の

職人も出てくるようになり、はまぐり形の手ぼうき、長ぼうきが全国に

売りだされるようになり、一大産地に発展しました。しかし掃除機の普

及で ほうきの需要が減り栽培農家も激減していきました。そういえば

実家でも畳や廊下をはまぐり形のほうきを使っていたことを思い出しま

した。何年も使っているとほうきの下のほうが曲がってくるんですよ。

なつかしいです。

次は、水府提灯の話をします。

水府提灯

水府提灯は、江戸時代に水戸藩の下級武士が生活を支えるために作り始

めたのが発祥とされ、岐阜提灯、福岡の八女提灯と並び 提灯の三大産

地として知られています。水府とは、水戸藩の別称で水戸藩の奨励産業

となり 江戸の町でも水府提灯が多く用いられるようになりました。水

府提灯の特徴は、竹ひご一本一本を輪にして それに糸を絡めていく製

法を取るので とても丈夫な構造です。提灯と言えば、小学生のころ田

舎の地蔵盆に見たことが、懐かしく思い出せれますね。

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