世界遺産、東寺は、弘法大師空海によって作られた密教寺院です。

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東寺で音舞台が開かれたんですね。そのイベントの直前に開かれた東寺にイベントの司会に行っていたんですけど、改めて東寺の良さというのを再発見しました。京都に住んでるのに東寺といえばね、世界遺産に認定されてまして、京都駅から歩いて15分ほどで到着ですね。そうなんです。

新幹線に乗っていましても。東寺の五重の塔が見えるんですよ。こられた方も京都と言えば東寺という印象もあると思いますけど 私は帰ってきたなあなんて思うんですよ。

 

実はあの五重塔は日本で一番高い木造建築です。

高さ55mあるんです。あと東寺といえば毎月21日に開催されます。弘法市もあるんですよね。はい、そうなんですね。世界遺産なんですけど、その境内に露店が所狭しと並びまして、いろいろ買い物に行くんですけど、特に12月21日の終い弘法と言われるときには大勢の人がお正月の準備をするんですよ。

私も祖母と訪れて玄関先に飾る葉牡丹の植木鉢を買って帰ったこととか覚えてるんですけどね。はい。その東寺、実は何度も訪れたことがあったんですけれども、その中というのはあんまり入ったことがなかったんですね。ですので、今日はその辺りを話していこうと思います。

 

東寺は建てられてから1200年以上経っているんですよね。

弘法大師空海によって作られた密教寺院です。

その空海さんって、当時のスーパースターだった。確かにそうでしょうね。日本に真言宗を広めたというのもありますけれども、それ以外にもあらゆることに秀でていたと言われている。天才的な能力の持ち主だったそうです。例えば弘法筆を選ばずという言葉があるように達筆だったそうです。

さらに、日本語、中国語、サンスクリット語も操るというトリリンガルだったからこそ唐に留学して短時間で密教を取得し、さらにそれ以外の土木とか地質学とか。あらゆる学問も吸収して帰って来たという人なんです。

その空海が建てたのが東寺なんですけどね。私が今回訪れたのが、

東寺の中にある小子房という建物だったんです。

この小子房という建物は、皇族や直視をお迎えする特別な場所なんですけれども、その中でお仕事だったんですね。その小子房という建物の中の襖絵が。近代日本画の巨匠、堂本印象が手掛けておりまして、そして部屋から西側のお庭を見ますと、これは一代目小川治兵衛が作ったお庭が広がって。そして今回言いたいのが、その奥の門。その奥に見えますのが国宝蓮華門と言われる門なんですね。

これなんで蓮華門と呼ばれるようになったのかと言いますと。空海は晩年、隠棲のために高野山に出発して東寺を離れて高野山に向かうんですね。この空海が高野山に出発する時にでた門がこの蓮華門。そうなんや。この空海が出て行ったときに周りに蓮の花が咲いていたことからそれ以来そのまま蓮華門と呼ばれるようになったそうです。空海は旅立つ時に言葉を残して行きます。

 

「身は高野、心は東寺に納めおく」。

私はここを去っていきますけれども、心はここに置いていきますよと言い残して、高野山に旅立っていったと言われているんですね。その旅立って行って、見送った蓮華門を静かに閉じました。それから1200年ずっと開けていない。ずっと閉じられているという門なんですね。

そう思って聞きますとなんだか空海の帰りを待っているような切なさと、あるいは東寺を閉じたまま守っているような厳かさが感じられる門だったんです。ぜひ皆さん、この蓮華門は壬生通から見ることができますので小子房から見える蓮華門というのは内側からはなかなか見られないんですけれども、外側から見られますので、ぜひ見ていただければと思っております。

 

はい、今日は東寺のお話しをしましたけれども、その東寺を舞台に西洋と東洋の出会うとき。テレビでも放映されます。11月12日日曜日の深夜0時30分から1時24分に放送予定となっています。はい、是非ご覧ください。

 

まとめ

 

東寺は、京都府京都市東山区にある真言宗の総本山です。平安京遷都の際に官寺として創建されましたが、823年に弘法大師空海が下賜を受け、真言密教の根本道場として発展しました。

空海は、804年に遣唐使として中国に渡り、密教を学びました。帰国後、密教の普及に努め、東寺を拠点に多くの伽藍を建立しました。また、真言宗の教義や儀式を体系化した「秘密曼荼羅(ひみつまんだら)」や「五字真言(ごじしんごん)」などの著作を残しました。

東寺は、国宝や重要文化財が多く、世界遺産にも登録されています。五重塔、金堂、講堂、大師堂、鐘楼などの伽藍は、空海の時代から続くもので、真言密教の歴史と文化を今に伝えています。

東寺の歴史

東寺は、平安京遷都の際に、国家鎮護の寺院として創建されました。当初は官寺として、朝廷の儀式や法会が行われていました。

823年、嵯峨天皇は空海を東寺に下賜しました。空海は、東寺を真言密教の根本道場として位置づけ、多くの伽藍を建立しました。また、真言宗の教義や儀式を体系化し、真言密教の普及に努めました。

空海

空海は、814年に高野山に金剛峰寺を創建し、真言密教の修行道場としました。823年に東寺を下賜された後も、高野山と東寺を拠点に、真言密教の普及に努めました。

空海は、密教のみならず、漢詩や書道、絵画、音楽などにも優れていました。また、学問や芸術の発展にも貢献しました。

東寺と空海の重要性

東寺は、真言密教の根本道場として、日本の仏教史において重要な役割を果たしてきました。また、空海は、真言密教の開祖として、日本の仏教に大きな影響を与えた人物です。

東寺と空海は、日本の歴史と文化を語る上で欠かせない存在です。



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