谷村新司さん死去 「アリス」堀内孝雄&矢沢透が追悼「突然の別れに驚き」

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私はもう昨日からショックです。今日朝から元気ないな?谷村新司さんが亡くなったという。昨日僕もね訃報が入ってきた。いわゆるスマホとかのネットのニュースで。僕にとったら青春時代のね。高校時代だったかな。「アリス」だから、それぞれの世代の人がそれぞれね、自分の青春時代であったり、大人になってからとか最近とかいろいろあると思うんですが、

私はこうやってアナウンサーをやるようになってからね。

アーティストとしての谷村新司さんも客席から見る聞くだけじゃなくて、実際スタジオでお会いして、ゲストにね。何度も、お話をさせてもらってきたわけですよ。それで中学や高校時代にね。アリスを聞いてた人間としてもですね。初めて谷村さんに会った時は、まあ、谷村さんもそれから堀内孝雄さんも、矢沢透さんも、もうそれぞれに活動していたんで、僕は初対面の時はそれぞれお一人づつなんです。あー、3人がね、違う機会にまったく全然違うところで、それぞれにお会いしてお話は聞いたんですけれども。

初めて谷村さんに会ったのがねえ。30代やったと思います。じゃあ、もうABC入って十年経って。それぐらい仕事してきた時に、ラジオの番組でね。ABCにあった前の第二スタジオで、谷村さんと広いスタジオだったんですけれども、そこで2人でインタビューさせてもらって、もうそれが谷村さんとの初めて会った。ちょうど僕らより一回り上なんかなそうですね。それぐらいですよね。大好きな南こうせつさんとも同い年だしで、その一回目にあって、それからもね。何度も番組にゲストでお越し頂いた時も、ちゃんと私のことを覚えてくれて認識してくださってて。

のちには私がこうせつさんのファンやということも分かった上で、こうせつさんとの話をしてくださったりとか、時折そのね、普段こうせつさんというふうな言い方をしたりね。こうせつっていう呼び方したりするんですが、時々ね、そのしゃべってる中でね。オンエアとかその放送じゃない時なんかでもね、あのせっちゃんって言ったりね。もうあの辺は同世代だからね。そうなんです。だからそういう中の私は1ページをその谷村さんとね過ごすこともできて。

谷村新司さんの昨日からの訃報。

見てたら音楽と、そして今までの功績だったりとか、アリス時代の話とか。いっぱい載ってるんだけど、みんなの曲がね。本当にもう数々の名曲を産んでいらっしゃるからね。本当にね、多くの皆さんのその谷村さんが亡くなったことへのショックですよね。そりゃそうだよ。そういう記事もあのコメントもいっぱい今日は新聞に出てましてね。

加山雄三さんは言ったら?弟の様に、サライを、一緒に歌ってらっしゃってね、弟が先に逝ってしまったと言うようなことをお書きになってましたけれども、theヤンチャーズいうね、こうせつさんとか加山さんとかと谷村さん。あれ、楽しそうだったもんね。でまあ、その兄想いの弟が先に逝ってしまったけれども、もう一言、言うとすれば、もうありがとうやと そうやな、そういうふうなこと、

僕らはね。深夜ラジオの谷村ラジオとの出会いってね。やっぱり中学ぐらいなんだけど、谷村さんのね。なんかこう大人のラジオっていうかな。はいはいはい、あれ、夢中になったな。ちょっと僕はまだ心の整理がついてないんですけれども。昨日の訃報に接して。堀内孝雄さんとそれから矢沢さんがねあのそれぞれのコメントを出してはるんですが、

例えばその堀内さんなんかやったら、

そのチンペイさん突然の別れに驚きを隠せません。来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけにとても残念です。僕にとってのチンペイさんは50年来の親友であり、アリスのリーダーであり、そしてよきライバルでした。学生時代にプロにならないかといっしょにアリスをやろうと誘ってくれた時、心の底から嬉しかった。あのとき誘ってくれてなかったら、今の僕はありませんっていうね。まあ、そういう書き出しから始まって。

矢沢さんのコメントが

まさに僕、もうほんとそのとおりだなと思ったのが。東京に住む僕と大阪に住む谷村と、何の因果か運命の出会いか堀内を紹介され、3人でアリスとして歩み始めました。時にはいがみ合い。時には抱き合い幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた。そして気がつけば51年という長きに渡って谷村と関わるとは、あの日から想像もしませんでした。若さのアクも抜け、これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうねと。新しいアリスの始まりに胸を躍らせていた矢先のことでした。谷村なら大丈夫。谷村ならきっと戻ってくるという根拠のない確信めいたものを感じておりました。でも谷村戻ってきませんでした。もういないんです。悲しいというより、悔しいんです。谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。思い出せば必ず胸にやってきます。どうか谷村を忘れないでください。今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました。 矢沢透。

この矢沢さんのねコメントの中でね。谷村は大丈夫。谷村ならきっと戻ってくる今年の病気になられて。本当に去年もそうだし、今年になってからもね。

夏前にもね、あの谷村さんの奥さんから。今病気療養で次のあのステージに向けてね、復帰に頑張ってますって言って。お手紙とそれからね、あのこれ、谷村も使ってる健康のためのもんですって。コルクのピンポン玉よりもふた回りぐらい大きい。まあ、硬いボールなんですが、それが贈られてきたんですよ。みよちゃんの家に?。谷村さんも頑張ってるなぁっていう思いながらね。早くアリスは。まあ、一度3人で、これからもまだまだやるよっていうふうに言ってはったね。その谷村さんがね。亡くなったっていうこの辛さがたまらないです。

それで今日ね。ディレクター席に座ってる

勝負事じゃんけんレンジャーで鬼のように勝ちに行くガラパね。僕が今ここにあるのは、谷村さんのおかげですというわけですよ。それで中学時代にラジオでヤンタンを聞いてね。あー、こんなことができるんだ。こんな楽しいんだ。こんなふうにラジオってできるんだと思って、このラジオの世界に飛び込んできて。なるほど、なるほど。それで谷村さんにもこのラジオで会った時にもね。もうファンですって言ったら、すぐに手を取ってね。握手してくれてもうね、誰であろうと隔たりなく、分け隔てなく接してくれる、ものすごい紳士なんですね。そうなんだ。

今日ね、あの各スポーツ新聞がいろんなそのコメントね。

記者の方も載せてて、例えばこのスポニチの山崎さんという方はね、入社七年目だったと谷村さんのマネージャーからの電話を受けた芸能デスクが慌ててポケベルを鳴らしてきた。今朝の谷村の記事を書いた記者と話したい、そんな伝言だ。何かいけないことを書いてしまい、苦情を受けるのか。恐る恐るマネージャーに電話を入れると、明日のコンサート楽屋に来てもらえませんか?谷村が直接話をしたいと申しておりまして。それで初めて会うわけですね。それで開演目前に対面したら叱られると思ったら、どうしてどうしてニヤつきながら迎えてくれたと記事を読ませてもらって、僕の今をすごくよく解釈してくれるなと思ったので、お礼を言わせてもらいたかったんですと。だから、その記事を書いた記者にまで自分のことをこういうふうに書いてくれたっていうので呼んでくれたりとか、

それからね、大友さんっていう日刊スポーツの記事ね書いてある方の記者の方ですけど。

去年の5月に50周年のインタビューで顔を合わせたら開口一番こう言うと、あの時の坊っちゃん、元気かいね、何かというと、コロナでもう取材が直接できない当時にオンラインで取材させてもらったと。そしたらたまたま家だから、自分の後ろを子どもがピュッと通ったからね、小っちゃいね. 自分の息子が通ったら、そしたらすいませんって言ったら、そしたらその息子に向かってね。谷村さんが手を振って歌とか歌ってる?と気さくに話しかけてくれた。そのときのこと覚えてくれてて会うなり。あの時の坊っちゃん元気かいって言ったんですね。谷村さん、ほんまにそういう人なんだ。そういう人なんだ。すごいね。

いろんなコンサートね。僕も行ったし、アリスのコンサートの時はもうファイナルだったね。あれは東京でやったあの映像で見て、それで谷村さんに会った時にまあ凄いじゃないですかと、このまだまだ行きますよねって言ったら、まだまだやるよって歌ったのと。

もう一つは、谷村さんは、ザ・シンガーっていうね、コンサートをやったんです。

まさにね、フランクシナトラとかああいうふうな感じのシンガーなんですよね。その歌を心を込めて歌うっていうのはこういうことだぞってみたいな。コンサートをずっとやったね。それにもね、あの三代澤さん来てよねとか。行ったらいつも喜んでくださるし、歓迎してくださるし谷村さんってね、時々、僕のことを三代澤君って言った。この君付けで呼ばれたときに嬉しくて、さあ三代澤君とか。そうだね。じゃあ、これはたまらんなそういうなんかお付き合いというか、あのみよちゃんにとったら、

やっぱりそのな特別なその本当にであの今日ね、

こうせつさんが。あのコメント寄せてる記事もスポーツ新聞に載ってますけれども、

お互い同い年ね。今年の春、電話で話したのが最後でした。これからは年相応にライブを楽しみながら生きていこうなんて話を交わしましたね。僕もチンペイも3人組で活動していて、よきライバルであり、同じフォーク仲間の友人でもありました。ソロになってからもチンペイは唯一無二の自分のスタイルを作り上げていきました。加山雄三さんのバックバンドtheヤンチャーズで、みんなで一緒に演奏したり、ハモったりして学生時代に帰ったように楽しかったことは、今でも忘れられません。チンペイが歌った美しいメロディーは永遠に輝き続けることでしょう。これよりご冥福をお祈りします。

百年後にもね、歌い続けていた言うたみたいなのをBSの番組でやってました。

あれをまたコンサートでやったりして。その話も以前したことがあるんですが、本当にたくさんの歌があってね。それを今の若い人たちとか子供達とか知らなかったりすると、でもそれもったいないって言うので、それを一人のシンガーとしてずっと歌い継いでいこうという活動もなさってただけに。まだまだ歌って欲しかった. 辛いね。こうせつさんのね、あの日比谷でやってるね。野音にも何回かゲストに来られてね。その時もすごく素敵な歌やったわ。そうですね。

あの武道館もね加山さんの40周年かな?50周年の時もヤンチャーズで見たけどもすごくね、みんなに信頼される人なんや。加山さんも谷村さんのことをものすごく信頼してるのがね、よくわかったね。えっと、今日はね、ちょっとオープニングで。僕の気持ちの整理というか、だからもらい泣きしてもうた、谷村さんはね、僕らの心の中に生きてるから、

サンケイスポーツを皆さんご覧ください。谷村新司さんの記事が出てます。谷村さん逝く。昴、鄧小平の前での禁断のアドリブとか、いろんな記事がいっぱい載ってる。

谷村新司さんが10月8日に亡くなられました。74歳でした。今年の3月に腸炎の手術を受け、その後も療養を続けていたとのことです。

谷村さんは、1971年にアリスを結成し、その深みのあるハーモニーが人気となり、数々のヒット曲を世に送り出しました1。その中でも「チャンピオン」は、ボクシングを題材にした歌詞と谷村さんの力強い歌声がマッチし、大ヒットを記録しました。

また、ソロ活動でも「昴」などの代表曲を生み出し、そのパワフルな歌唱力と軽妙なトークで親しまれました。突然の訃報に、芸能界からは悲しみの声が上がっています。

ともに時代を歩んだばんばひろふみさんが、

18日放送のラジオ関西の生放送番組『ばんばひろふみラジオDEしょー』で盟友との思い出を語った。 【関連】谷村新司さんが語った青春時代「恋も何もかも神戸」 アリスへの想い「僕の中で永遠に消えないバンド」  谷村さんとばんばさんはヒット曲が生まれる前から同じ事務所で切磋琢磨し、数多くのステージをともにしながら70年代の音楽シーンをけん引した。また、関西では『ヤングタウン』、関東では『セイ!ヤング』などの深夜放送で、“チンペイ・バンバン”のコンビは若者に絶大な人気を博した。 『ばんばひろふみラジオDEしょー』は、阪神淡路大震災直後の1995年4月にスタートした前身の番組から数えて29年目を迎える長寿番組で、谷村さんも折に触れ出演していた。

谷村さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。彼の楽曲はこれからも多くの人々に愛され続けることでしょう。

谷村新司さんの代表曲は以下の通りです:

  • 「昴 -すばる-」
  • 「サライ -ソロ・バージョン-」
  • 「遠くで汽笛を聞きながら」
  • 「今はもうだれも」
  • 「冬の稲妻」
  • 「ジョニーの子守唄」

これらの曲は、谷村新司さんの音楽キャリアを象徴するもので、多くの人々に愛されています。彼の楽曲は、その美しいメロディと心に響く歌詞で、多くの人々の心を捉えてきました。彼の音楽はこれからも多くの人々に愛され続けることでしょう。

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