静岡県の伝統工芸品

未分類

駿河竹筋細工

1976年に経済産業省の伝統工芸品の指定を受けました。特徴として

は、他の竹細工が平ひごを編みあげていくのに対して、丸く削りだした

丸ひごを一本ずつ差し込んで組み立てていくことと曲げわっぱの接ぎ方

に他の地方でも類を見ない細工を施します。

静岡の竹細工は、江戸時代 藩士の狩猟や旅行の際、使用していた籐編

笠(当時籐の原料が非常に高かったため)竹で代用し改良製作してまし

た。竹は値段が安くあがるので大いに売れたそうです。そのために同心

たちの内職として四十余戸が従事したと言われています。

徳川家康が駿府城に入ると大好きな鷹狩りをするためにえさ箱を鷹匠同

心たちに作らせたのが現在の駿河竹筋細工の始まりだと言われています

。1630年ごろには、府中七間町には、竹細工の枕、虫かご、絵筆、

花かごなどを販売する店ができました。駿河竹細工が今の静岡の駿河竹

細工の特徴である丸ひごを用いるようになったのは、岡崎藩士 菅沼一

我が駿河に立ち寄った際、天保11年(1804年)弥勒脇本陣であっ

た「はぶや」清水氏の息子清水猪兵衛に技術を教え、その後改良が重ね

られ、より繊細な菓子器、虫かご、花器などが作られ広められたそうで

す。

明治6年(1873年)には、日本の特産品としてウイーン国際博覧会

に出品され竹ひごの優美な繊細さは、」当時の西欧諸国の特産品をしの

ぎ好評を博しこのことを機に多くの製品が海外に輸出されるようになり

ました。

 

鳥籠

江戸時代初期、鷹狩りを好んだ徳川家康の抱えていた鷹師たちが鷹の習

性に合わせたかごを作り以後改良を重ね様々な形が残されています。鳥

かごは、大別して大和籠、丸釣鐘形、家形、家形折り畳み式、長角形な

どがあります。

大和籠は、高貴な方々の愛玩用に用いられ鶯など限られた鳥類を楽しん

だそうです。鳥かごは、豪華で贅沢を極め籠本体は、最高級品を また

籠台は、上質の木曽材で作り 足は、「猫足型」に黒又は朱塗りに金銀

の高蒔絵を施してありました。これをもとに万延元年(1860年)ご

ろより虫かごが静岡で作られるようのなりました。

 

駿河雛具

室町時代に静岡では、公家の風習にもとずき随所で若い婦人に「ひいな

はりこ」などを贈った記述があり雛遊びが定着していました。

雛具が静岡で生産された由来は、江戸時代初期、二代将軍秀忠の久能山

東照宮、三代将軍家光の浅間神社造営の際、全国から集められた優秀な

職人が、完成後も駿河に留まり木地指物、挽物、漆、蒔絵などの技術を

利用し、木漆工芸品を作っていたことです。

本格的に製造が開始されたのは、明治15年ころで製品は、三つ揃、十

三揃、三棚、重箱などですべて蒔絵が施されました。

関東大震災では、関東の職人が静岡に移住し、高度な技術を駆使した製

品が作られ、戦後雛具の生産は、全国の90%のシェアを占めるように

なりました。お雛様に使われている雛具が、静岡で作られているという

ことを私は、ぜんぜん知りませんでした。

 

駿河雛人形

 

駿河雛人形のルーツは、焼津市上新田の青野嘉作が、祖父三右ェ門の生

まれた故郷 美濃国青野ケ原から土細工師を呼び寄せ土人形を作り出し

たのが始まりとされています。江戸時代末期には、衣装を着せた天神(

衣装着雛天神)が作成され、現存する最古のものは、嘉永6年(185

3年)ものがあり「駿河雛人形」のルーツは、衣装を着せた天神とも言

われています。駿河雛人形の大きな特徴は、胴体部分に他地区と比較し

て太い藁胴が使われ、胸の部分のカーブに合わせて斜めに削られていま

す。製作工程には、「振り付け」といって両手を曲げる工程があります

。この作業には職人の技術が、集約されており曲げの形から誰の製作か

が分かるほどで職人の個性が発揮されているのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました