大阪といえば、思い浮かぶのは、たこ焼き、大阪弁、吉本、お好み焼き、
道頓堀、通天閣、大阪城、海遊館、USJなど・・・
大阪の伝統工芸品・大阪金剛簾(おおさかこんごうすだれ)について書きます。
大阪金剛簾
大阪府の富田林や河内長野・大阪市で生産される竹工芸品です。
大阪で最も高い金剛山・葛城山系の麓に自生する真竹を用いて質の良い
竹簾作りが盛んになり産地が形成されました。
天然竹を生かした 格調高い簾は、室内装飾品として使われ日本的な雰囲
気のある優しい美しさを備えています 。
日本における簾の歴史は、日本に現存する最古の和歌集てある「万葉
集」に額田王が天智天皇を思って作った歌があり7世紀頃には貴族の
生活に簾らしきものが使われていた事が分かります 。
大阪金剛簾の歴史は1700年頃に武士が新堂村(現在の富田林市若松
町)に来て世を忍ぶうちに籠などを作り、村人に伝えたのが始まりと言
われており籠の技術を基盤に京簾の技法を取り入れたと考えられます 。
1948年に河内長野で大量生産を可能にしたカッター方式が考案され
て簾の製造に大きな影響を与えました。
1960年頃には、簾産業全盛期を迎え、1985年大阪府知事から地
場産業の振興事業として 「大阪の伝統工芸品の指定」を受け大阪府知事
認可「大阪簾工場協同組合」を1944年に設立、1996年に経済産
業大臣より「伝統的工芸品」指定を受けました。
そして2004年後世に簾を伝承するために「簾資料館」を設立しました。
堺打刃物、堺刃物
堺に鍛鉄技術が伝わったのは、5世紀の古墳造営の時期とされ、平安時
代末期から刀製造として引き継がれました。
堺打刃物の発展のルーツは、室町時代の頃には、南蛮貿易を通じて、ポ
ルトガルから伝来したタバコの葉を細かく糸状に切り刻むタバコ包丁が
16世紀の天正年間に堺で作られるようになり、戦国時代の鉄砲産地と
して織田信長をはじめとする権力者にも注目される技術力もあって、こ
れがそれまで使われていた輸入品よりも品質が良かったため、江戸時
代、幕府から専売品として「堺極」の刻印を打たれ、堺刃物の切れ味と
名声から全国各地へ広がりました。
17世紀末の元禄年間(1688~1704年)に出刃包丁が堺で作ら
れはじめました。
堺打刃物は、伝統的な火造り、刃付け、研ぎの手法を完全な分業体制に
よって作られており、その素晴らしい切れ味から、多くのプロの料理人
の間で絶大な信頼と支持を得ています。
堺刃物は、堺打刃物の技術・技法により、新素材と呼ばれているステン
レス鋼・ハイス鋼・ダイス鋼などで製作したもの。錆びにくく切れ味
が良い。
誕生日のプレゼントに名前を入れてもらうこともできるみたいなので
お勧めです。
大阪浪華錫器
大阪浪華錫器(おおさかなにわすずき)とは、大阪市で製造されている
錫器で錫を鋳込んで轆轤で磨き上げるなどの表面処理を行なって作ら
れる。
製品には、神具、仏具、酒器、菓子器、花器、その他日用品などが挙げ
られます。
経済産業大臣指定伝統工芸品。
全国の錫器のシェアの7割程度を占めています。
日本列島で錫を含んだ青銅の使用は、弥生時代まで遡るが、錫が単独で
使われるのは6~7世紀頃の飛鳥時代とされ、8世紀の正倉院御物には
いくつかの錫器が確認されています。
錫は、瓶子や銚子などの使用が主であり、もともとの用途が酒を注ぐた
めに使われるための徳利のことを「すす(錫)」と呼ばれていました。
最も古く錫器製造業が営まれたのは、京都であるとされ、その後江戸時
代初期に、大阪の心斎橋を中心に幾つもの錫屋が営業を始め、高級でし
ゃれた生活用具として大阪の一般家庭の生活の中に浸透しました。
大阪錫器のビアタンブラーにはビールをおいしくする秘密があり、とて
も人気があります。
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