兵庫県の伝統工芸品

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兵庫県の伝統工芸品について書きます 。

まず播州そろばんから

播州そろばん

そろばんが伝わったのは、中国の宋期以後発達したものが、室町時代、

文安元年(1444年)頃、中国商人が通商取引のためわが国に伝えた

と言われています。

当時、京都で毛利勘官兵衛重能が、指導して以来普及していったものと

伝えられています。

日本での算盤の初見は、戦国時代の狩野吉信が書いた喜多院に算盤を手

にした両替商の姿が描かれています。

近世中期以降、商業資本主義の台頭、幕府、諸藩の教化政策に寺子屋が

開設され、文化文政期より爆発的に増加しました。

その教育内容は、「読み・書き・そろばん」と言われるように商業の盛

んな地域でそろばんの習得がもてはやされました。

中国から伝わった、そろばんは、長崎で作られ慶長年間に長崎から大津

に製法が伝わりました。

当時大津は、交通の要衝で、大阪と京都に近接していたこともあり そ

ろばんの製造が発達したそうです。

なぜ播州地方にそろばんが発達したのかと言うと天正8年(1582

年)豊臣秀吉が三木市の三木城を攻略した際、戦火を逃れた住民の一部

が大津方面に避難し、そこでそろばんの製法を取得し地元に帰郷後、製

造を始めたのが播州そろばんの起源だと言われています。

初めは三木市中心に製造されていましたが、周辺地域に伝播するにつれ

て小野市に中心が移行してそうです。

以上の説は、あくまで伝承であって真実は不明ですが、他にもいろんな

説があり、特に有力な説は、1750年頃 摂津堺(現在の堺市)から

三木市にその技術が伝えられたというものです。

第二次世界大戦後、日本経済の発展成長とともに算盤の需要も大いに伸

展しましたが、昭和40年頃より電卓の普及により算盤の需要は急激に

減少しました。

近年、そろばんの人気がじわじわと上がってきている背景に、そろばん

が子供の教育に良い効果を与える事が認識されており、小学校の算数に

取り入れられたり、また脳の老化を止めるのに効果があるとし、認知症

対策としてそろばんを取り入れる老人介護施設が増えてきました。

工芸品してなかなか認められなかったそろばんを、当時の組合理事長さ

んが奔走し、昭和51年100近い製造工程や高度の伝統技術が、伝統

工芸として認められたのです。

つぎは、豊岡杞柳細工(とよおかきりゅうざいく)について書きます。

豊岡杞柳細工

豊岡杞柳細工は、兵庫県豊岡市、養父市、美方郡香住町で生産される杞

柳製品。

コリヤナギや藤などで編んだ行李やバスケット、インテリアなどの木工

品です。

国の伝統的工芸品ならびに特許庁の地域ブランドに指定されています。

円山川下流域の湿地帯に多く自生するコリヤナギを用いて編み上げたも

のが 柳行李である 。

古く奈良時代に作られた「但馬国産柳箱」が東大寺正倉院御物として残

されていることから1200年以上の歴史を有していることとされてい

ます。

杞柳が産業として確立したのは豊岡藩が城下町として形成した安土桃山

時代です。

京極高盛が、加工技術育成と販売に力を注ぎで、1763年には専売制

を成立させたことから、豊岡の柳行李として世に知れ渡り、日本有数の

柳行李産地として発展したそうです 。

江戸時代には旅行具して一般庶民に広く利用され、明治には国際博覧会

に出品された。

昭和に入ると軍事行李を生産した。

柳杞柳の特徴は、丈夫で軽く、落としても壊れにくい、蓋のかぶせ方で

収容量を調節できる、衣類を守り大容量であること、水洗いが可能、通

気性が高いなどです。

1992年に伝統的工芸品指定された。

2006年に杞柳細工に関する資料や製作に用いる道具類などを展示し

た資料館が玄武洞公園にミュージアムとして開設した。

現在「鞄のまち豊岡」の名声のもととなった豊岡杞柳細工ですが、最近

の生活様式の変化に伴い、新素材の開発、ハイテク技術による、合成樹

脂、合成繊維などの鞄製品が、豊岡の地場産業として成長しています。

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