奈良の伝統工芸品

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奈良一刀彫

 

奈良一刀彫による人形作りは、独特の鋭いノミ跡が見せる稜角と面、そ

して金箔や岩絵の具で彩られた、徴細で華麗な図板との見事な調和の美

しさにあります 。

モチーフは、干支・能人形・雛人形・五月人形など 広範囲にも新しい

意匠を盛り込んだ数多くの名作が生みだされています。

文献によると保延年間(1137年)春日若宮の事始めが興福寺で演じられ

た際、蓬莱島台を造ってこれに木彫りの尉姥(じょううば)を飾ったと

あります。

以来毎年この儀式が行われ、その都度島台を飾る人形を彫り、また祭礼

渡御のときや田楽法師の笛笠にも極彩色の人形をつけたとされています

奈良一刀彫のお人形は、身代わりになって守ってくださると聞いたこと

がありますよ。

次は、奈良晒(ならさらし)について書きます。

 

奈良晒

 

古くから奈良を中心に生産されてきた上質の麻織物です。

麻皮を紡いで糸にし、手織りした麻布を、真白く晒し天日で仕上げたも

の。

起源は明らかではないが、室町時代にも社寺の注文により僧衣などを生

産していたという。

江戸時代に入り、 徳川家康の保護統制策のもと、幕府御用品と認められ

たことにより、 奈良晒の名声は、全国的なものとなり販路を広げ晒業

は、飛躍的な発展を遂げたそうです。

武士の裃(かみしも)や帷子(かたびら)、僧侶の袈裟、庶民の夏用衣

類、幕地など需要は増え、江戸時代中期には、奈良の就業人口の70%

以上が何らかの形で、奈良晒の生産に携わり基幹産業となりました。

明治へと時代が変わり武士の没落によって、最大の消費者を失い奈良晒

の衰退は決定的なものとなりました。

現在では、狂言や舞楽の衣装など特殊な用途に加え、のれんなど室内装

飾品や、ふきんも作られている。

私のうちでは、奈良晒のふきんを使っています。

特徴としては吸水性に優れ、広げると乾きやすいので、一度皆さんも

使ってみて下さいね。

 

奈良筆

6世紀の初め 、仏教の布教と共に、経典の需要が高まり、中国から筆や

墨が、輸入されるようになった 。

その後、遣唐使として唐へ渡った空悔は、平安初期に筆と墨の製法を持

ち帰り、国内で作られるようになったそうです。この時、空悔から毛筆

の製法を伝授された大和国の住人、坂井清川が筆を作り、嵯峨天皇に献

上したのが、奈良筆そして日本の筆の始まりとされました。

制作工程においては、客や店の希望を聞いて原料の動物の毛の種類を選

ぶのが奈良筆の特徴です 。

選毛から仕上げまで、十数段階に及ぶ工程を、全て一人の職人が手掛け

ますが、墨がよく染み込むように、毛の脂分を取り除く作業や逆毛を取

り除く作業が、特に重要とされています。

歴史と伝統、高い品質を誇る奈良筆は、奈良の墨と共にみやげ品の上位

になりました。奈良筆の品質は、書家や専門家からも高く評価され続け

ており、国の伝統工芸品にも指定されています。

 

奈良漆器

漆器工芸は、仏教伝来を契機とした天平文化と共に、花開き漆で絵を描

いたもの、螺鈿(らでん)、金銀平脱、平文など、多種多様な技術を自

由に駆使して、目の覚めるような美しい器物を残しています。

おそらく、直接器物を輸入すると同時に、工人を中国から招いて製作に

あたらせ、日本人に伝習させたのでしょう。

その頃の数多くの作品が、正倉院に収められているので、奈良は、日本

の漆器発祥の地と言われています。

中世になって、塗り師、漆屋座が登場します。

南都に住んで社寺に所属し、建造物の塗師として活躍しながら、器物と

しての漆器も製作していたそうです。

また茶の湯の発展とともに、茶道具関係の塗師に名人上手が現れ、江

戸時代には武具の塗師を職業とする人もいました 。

その後、明治に入って奈良博覧会会社が設立され、正倉院宝物や社寺

の什器が、初めて公開された明治8年の第1回博覧会の開催によって、

奈良の漆工業は大いに啓発され、これからの模写事業を興して、奈良

漆器の復興がはかられました。

中でも、螺鈿塗の技法は、奈良の独壇場です。

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