岡山県の伝統工芸品について、最初 勝山竹細工から書きます。
勝山竹細工
岡山県北部、中国山地のほぼ中央に位置し、古くは出雲街道の要衝とし
て栄えた城下町・勝山なのです。
この地に受け継がれる、伝統の技術の一つに竹細工があります。
かつては、運搬・計量の容器として使われた、農家の生活道具です。
竹の素朴な風合いの中に、日用品の強さ、使いよさが備わっています。
風土が育んだ手仕事の美と技です。
勝山竹細工も、もともと農耕用や家庭用に使われた、ざるの一種「そう
け」作りから始まったという歴史を持っています。
起源は定かではないが、江戸時代末期には、産業として成立していたと
想定され、当時竹細工の村として栄えた、月田地区には、製品として流
通していた記録が残されています。
数百種にものぼると言われる竹類の中でも、勝山竹細工に使われるのは
地元周辺に生育する「真竹」です 。
真竹は、粘りや光沢、節と節との間の長さ、根元の太さなど良質の竹細
工作りの条件を満たしています。
この真竹を皮むきや晒しなどを施さず、自然の青竹の美しさをいかにし
て編み上げるのが、勝山の伝統なんだそうです。
青い表皮と内側の白い身の部分を使うことでできる、縞模様も独特の表
情をかもし出しています。
編み上がったばかりの青々とした新品の香りも魅力ですが、年月ととも
に飴色に色づき、艶が増してくるのも味わいがありますね。
「大ぞうけ」は、穀物をいれる器。「米あげぞうけ」は、研いだ米の水
きり用。「みぞうけ 」は、野菜を持ち運ぶとき使用。「飯ぞうけ」は、
夏ご飯が傷まないように軒先につるして使用。
この4つのが勝山竹細工の基本的な品物です。
1979年(昭和54年)国の伝統的工芸品に指定されています。
現在は、日用雑貨や花器など現代のデザインを取り入れた作品を製作し
ています。
次は、備前焼について書きます。
備前焼
備前焼は、岡山県備前市周辺を産地とする炻器です。
日本六古窯の一つに数えられます。
備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼」との別名を持っていま
す 。
同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は、備前焼の窯のもので
す。
備前焼の歴史
備前市南部から瀬戸内市内には古墳時代から平安時代にかけて須恵器窯
跡が点在し「邑久古窯跡群」と呼ばれています。
この須恵器が、現在の備前焼に発展したと言われています。
「邑久古窯跡群」で最初に築かれた窯は、瀬戸内市長船町の木鍋山窯跡
(6世紀中頃)で7世紀後半から8世紀初頭になると、瀬戸内市牛窓町の
寒風古窯跡群周辺から、瀬戸内市邑久町尻海周辺に、かまどが築かれま
した。
8世紀になると備前市佐山に、窯が築かれ始め12世紀になると伊部地区
に窯が本格的に築かれ始め、独自の発展へと進んでいった 。
鎌倉時代初期には、還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれる。
鎌倉時代後期には酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が焼かれる。
当時の主力は水瓶や擂鉢など実用本位のものであり「落としても壊れな
い」と評判がよかったのです。
この当時の作品は「古備前」と呼ばれる珍重されている 。
室町時代から桃山時代にかけて、茶道の発展とともに茶陶として人気が
高まるが、江戸時代には茶道の衰退とともに衰える。
備前焼は、再び水瓶屋・擂鉢・酒徳利など日用品の生産に戻っている。
昭和に入り金重陶陽らが桃山陶への回帰をはかり芸術性を高めて人気を
復興させる 。
陶陽は、重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定され、
弟子たちの中からも人間国宝を輩出し、備前焼の人気は不動のものに
なった。
特徴としては釉薬は、一切使わず酸化焔焼成によって固く締められた赤
みの強い味わいや「窯変」によって生み出される一つとして同じものが
ない模様が特徴です。
現在は、 茶器・酒器・皿などが多く生産されています。
「使い込むほどに味が出る」と言われ派手さはないが、飽きがこないの
が特色である。
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