出雲石灯籠
古来より石棺石室等に用いられた宍道町の来待地区のみで産出される
「来待石」を材料として、出雲石灯籠は、製作されるようになった
そうです。
この「来待石」は、約1400万年前、宍道町がまだ海であった頃、
火山灰が海水に洗われて堆積した凝灰質砂岩で、耐火性に優れ
加工しやすい良質の石材です。
来待石は、苔がつきやすく庭園にしっとりと馴染みやすいことから、
石の美術品として人気が高く、長い歴史の中で仏教美術や庭園工芸の
影響を受けてきたため、出雲石灯籠の独特な技術や美的調和のとれた
気品の高い優雅さが、全国の庭園で愛されている理由です 。
江戸時代には、その品質が松江藩、松平直政によって認められ、「御上
石」として保護されていたそうです。
出雲石灯籠は、400年の歴史を持つ 石工品です。
石質は、粒子緻密で気品高く、優雅な作品を作ることができます 。
色彩がよく早く苔青く古色を帯びて、自然と調和するので古くより
庭園で愛用されています 。
耐寒性・耐熱性にも富み、長年月風化に耐えるのも特色のひとつ。
昭和51年、石工品で初めて国の伝統的工芸品に指定されました。
現在も伝統の意匠に、新しい加工彫刻技術を生かしながら、
熟練工の手で製作続けられています。
次は、雲州そろばん(うんしゅうそろばん)について書きます。
雲州そろばん
天保元年(1830年)頃亀嵩の大工・村上吉五郎を祖し、梅の木の芯を
珠に、芯竹は、スス竹、枠は樫の木を使い作られたのが始まり。
現在は、黒檀、ツゲ、カバなどを使用。
そろばんの命とも言えるのは、何といっても珠である。
珠運びがよく、冴えた高い音のするものが、良いそろばんとされている
ことから雲州そろばんでは、特に珠そして軸となる芯竹の仕上げに細心
の注意を払っています 。
高級そろばんになると、より厳選された材料、より熟練された名工の
腕と勘が駆使され入念に作り上げられる。
堅牢で使いやすく、全国に知られている雲州そろばんは、
昭和60年伝統的工芸品に指定されました。
横田町(現在の奥出雲町)からタイにそろばんの講師を派遣したのが
きっかけとなりタイ王国において、珠算が盛んに行われるように
なるなど、広く世界にそろばんを広めていこうと言う活動も、
展開されつつあります。
次は、石見焼(いわみやき)のお話です。
石見焼
石見焼は、島根県江津市を中心に旧石見国一帯で焼かれている
陶器です。
秀吉朝鮮出兵(文禄の役、慶長の役)の際に連れ帰った朝鮮陶工
李郎子により柿木村で製陶が始まりました 。
現在に直接つながる石見焼が焼かれるようになったのは、18世紀半ば
(宝暦年間)で現在の江津市に周防国、備前国から技術が伝わり、
片口・徳利・水甕などが作られました 。
江戸時代の末期には、藩の保護奨励を受け窯作りが相次ぎ、
江津地域は水甕生産の一大拠点となりました。
石見焼の水甕は、耐水性に優れ、貯水には最適であることで全国から
需要があり、北前船により全国津々浦々に出荷され、明治時代、
多くの窯元が藩の庇護を失い衰退する中、石見焼は最盛期を迎えます 。
戦争混乱期には生産が一時衰退し、昭和30年代に入ると、上水道の整備
により水を貯蓄する必要性が減った事やをプラスチックなど
合成樹脂容器の普及に打撃を受け、その後は漬物や梅干し、
味噌などの貯蔵用の容器を作るようになりました。
石見焼の特徴として、良質な都野津層の粘土と来待釉薬により、
上質な水甕などの保存器と石州瓦を生み出しました。
寒さに強く、凍っても割れない、酸やアルカリ強い品質が特徴です。
現在では料理に合う皿、おしゃれなマグカップ・傘立てなども製作し、
伝統的な意匠、技術を継承しつつ、時代の変化に対応した商品を
焼き続けている。
平成6年に国の伝統的工芸品に指定されました。
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