鳥取県の伝統工芸品、まず最初は因州和紙から書きます。
因州和紙
鳥取市青谷町と佐治町が主な産地。
因州和紙の起源は古く、8世紀前半の奈良時代に正倉院文書の「正集」
の中に因幡の国印を押されたものがあります。
これは日本でも最古期の物で正倉院に保存されています。
927年(延長5年)に完成した「延喜式」(えんぎしき)には、
因幡の国から朝廷に紙が献上されたという記録が残っています。
江戸時代には、因州和紙の原材料である楮と雁皮が亀井候文書に
「きってはならない木」記されており、鳥取藩に上納する藩の
御用紙として自給を目指し、庶民が使う紙としても盛んに作られていました。
明治時代には、紙の漂白技術や合理的な製造方法の技術導入したことで
生産量が増え、その勢いは大正末期まで続きます。
昭和に入ると、木材パルプを使った洋紙の普及により和紙の需要は、
生活様式に変化で障子紙など減少していきますが、因州和紙は
書道用紙・工芸紙・染色紙など、伝統的技術を基礎とした新しい製品の
開発に力を入れ、画仙紙は、日本一のシェアを獲得するなど
戦後に知名度を上げています。
1975(昭和50)年、国の伝統的工芸品に指定。
現在は伝統的な技術を利用して立体形状のインテリア製品や
パソコン用印刷紙など、時代の変化に対応した新製品を多く
開発していることも特徴です。
次は、弓浜絣です。
弓浜絣
弓浜絣(ゆみはまがすり)は鳥取県境港市周辺で作られている
織物です。
「弓浜」の由来は「弓ケ浜」という鳥取県米子市から境港市にかけて
20キロメートルにも及ぶ弓状に湾曲した沿岸の名称から来ています。
同地法は、古くから暖かい砂地のため綿栽培が盛んで、江戸期には
「伯州綿」で名を成した。
「絣」はあらかじめ染め上げた糸「絣糸」織って作る織物で、藍色の糸
で紡いだ物を生地の土台にして、その上に白色の糸で様々な模様を
編んでいきます。
少し藍の色が滲んだ白色の糸に風情があり、動きやすくて洗いやすい
服が好まれており、弓浜絣が農業を生業とする人々の暮らしに
合っていました。
弓浜絣の特徴
弓浜絣の特徴は、農民の自分たち用衣料と始まったものだけあって、素
朴でざっくりした風合いをもっています。
絵絣の技法を生かし「縁起物」「厄除け」「吉祥」と生活に関連を
持つ柄が、繊細かつ大胆に表現されています。
当時は農民の自給用衣服のニーズが高く、動きやすくて洗いやすい服が
好まれており、弓浜絣が農業を生業とする人々の暮らしに
合っていました。
最近では、巾着袋やコースター・テーブルセンター・コインケースなど
の小物も作られ、広く人々の生活に取り入れられやすくなりました。
弓浜絣の歴史
弓浜絣の歴史は江戸時代中期の1751年(宝暦元年)まで遡ります。
当時から鳥取県と島根県を含む山陰地方は、広瀬絣・弓浜絣・倉吉絣
などが発達しており、絣の名産地として名を馳せていました。
中でも、農民などの一般市民の生活に取り入れられてきた弓浜絣は最も
親しみやすく重宝された絣です。
当時の弓浜絣の先駆者は地元に住む農家の主婦たちで自分たちが着る
仕事着、晴れ着、布団などの生活雑貨を本業である木綿織りの傍らで
弓浜絣を製作していたことが発端でした。
江戸時代から大正時代にかけて全盛期を迎え、鳥取は全国で3位の
絣織物生産地として栄えました。
1975年(昭和50年)に無形文化財に指定されてからは、絣を保存する会
や絣を制作する工房が各地で設立され、弓浜絣の保存や周知に
一役買っています。
作り方
原糸の不純物を取り除き、その糸を80本くらいに引き揃え、
柄になる部分をくくって染色します。
染色後、乾燥させてくくり糸を取るとくくっていた部分だけが
染まることなく白くなっています。
80本の糸を1本ずつ分けて、白い部分を合わせながら織ると、柄を作る
ことができます。
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