広島県の伝統工芸品について、福山琴から書きます。
福山琴
福山琴の歴史は、 徳川家康の従妹にあたる 水野勝成が、福山に城を築い
た時代に遡ります。
備後十万石の城下町であった福山では、歴代藩主水野、松平、安倍家の
奨励も後押しをして歌謡や音曲が盛んな土地でした。
江戸時代末期には、琴の名手である葛原勾当氏が備後、備中で活躍し、
京都で伝授された筝曲がもたらされます。
音色の良さと工芸品としての価値が認められ福山琴の需要が高まり、高
級琴の代表としても知られるようになりました。
明治時代の初期には、福山で本格的な製造が始められます。
その後も琴の作業工程を改善するのなどの工夫を重ね、全国トップの琴
の産地としての地位を築きました。
1960年(昭和45年)頃には最盛期を迎え、約3万面の琴を生産していま
したが、現在は約3千面の生産に止まっています。
生産数は減少したものの、全国シェアは70%のトップクラスです。
産地では完成度や品質を損なわずに扱い易い軽量なことを生産し、全国
小中学校箏曲コンクールを主催するになど、琴の普及に取り組んできま
した。
6月6日の邦楽の日には、長年演奏会や練習で使用された琴の供養を福山
市の鞆の浦で開催しています。
福山琴の特徴は、優れた音色を持つだけでなく、見た目の装飾の華麗さ
や木目の美しさでも日本隋一であることです。
桐の最高級の乾燥材料や紅木または象牙を使用し、熟練の琴職人によっ
て丹念に作り上げられます。
伝統工芸品指定を受けているものの中でも楽器類で指定を受けているの
は福山琴のみです。
福山琴は甲の裏面に、精巧な装飾模様の彫りを施しています。
代表的な彫りの技法は、高級品である「麻型彫り」などです。
琴の装飾として重要な役割を果たすのが蒔絵です。
福山琴では竜舌や磯の部分に蒔絵を使い、琴を華麗で繊細な美しさに仕
上げます。
近年、従来の福山琴より胴尺の短い新福山琴が開発された。糸締めも簡
単で、持ち運びやすい。
次は、熊野筆について書きます。
熊野筆
熊野町には筆の原材料となるものは何一つありません。
なぜこの町に筆作りが発達したのかというと、18世紀末(江戸時代末
期)頃、平地の少ない熊野町では農業だけでは生活が苦しいため、農繁
期を利用して、奈良地方から筆や墨を仕入れ、それを売りさばいていた
ことが、きっかけとなり筆と熊野の結びつきが生まれたそうです。
今から約180年前になると、広島藩の工芸の推奨により、全国に筆・墨
の販売先が広がり、本格的に筆作りの技術習得を目指すことになったそ
うです 。
その先駆者となったのが、当時筆作りが進んでいた奈良や兵庫県有馬に
派遣されたり、地元に招いた筆作りの職人に技術を習った
若い村人達でした。
その後、村民の熱意と努力により、
筆づくりの技が根づいたんだそうです。
昭和50年には広島で初めて通商産業大臣より伝統的工芸品の指定を
受けました。
現在では、毛筆・画筆・化粧筆のいずれも全国生産の80%以上を占める
と言われるまでに発展しました。
化粧筆は、先に海外で評判になり、数多くのメイクアップアーティスト
やメイクブランドに支持された。
国内では口コミレベルで知られていたところへ
2011年なでしこジャパンへの国民栄誉賞記念品として
取り上げられたことで知名度が一気に上がった。
宮島細工
宮島細工は鎌倉時代初期に神社や寺を建てるために各地から宮大工や指
物師などの匠が招かれ、その技術の流れを汲んでいます。
中国産地に森林資源があり廿日市地区が木材の集積地となり材料の入手
が容易であったことが発展のもととなりました。
江戸末期に杓子をはじめとして、ろくろ細工・くり物細工・宮島彫りな
ど幅広く日常生活に使用されるものが多く製作されました。
木地仕上げが多く、木本来の持ち味を生かし、自然に育まれた木目の色
調や手触りを十分に生かした製品が多く作られています。
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