山口県の伝統工芸品・大内塗について書きます。
大内塗
南北朝時代の大名・大内弘世が、京都からお姫様を妻に迎えたところ、
妻が都を恋しがってやまないので、都から人形師を呼び寄せて人形御殿
と呼ばれるくらいに人形を作らせ、慰めたという伝説をもつ大内氏の都
ならではの塗り物ものです。
ずいぶん、奥様思いですね。
大内氏の時代や江戸時代には山口で、大内塗りの漆器が製作されていた
と伝えられています。
「李朝実録」や「皇明実録」によれば大内氏の朝鮮、対明交易の輸出の
中には漆器が見られ、大内氏が大陸貿易を進めていく中で、刀剣・扇
子・硯と共に漆製品も重要な輸出品となっていたことがわかり、15世紀
には山口で漆工芸が盛んに行われていたことが伺えます。
また「大内氏掟書」に見られる刀塚鞘などの塗物代についての定書は
山口で漆器製作があったことを物語っています。
毛利家所蔵の大内椀や、個人所蔵の漆塗足付盤は当時の遺品であり、大
内氏時代に作成された大内塗の製品で現在もなお残っているものはこの
二つしかないと言われています。
漆塗足付盤は山口県指定有形文化財で重要美術品としても認定されてお
り、高さ21cm、 横40cm 縦37cm縁の深さ1.2cmの外側は黒色、内側
朱色の卓子型の盆で、色彩形状共に優れている数少ない大内塗の遺品
中の逸品であります。
大内塗の製品として最も知られているのが大内人形です。
漆に純金箔をあしらった人形で、人気のあるのが夫婦円満の象徴といわ
れる男女一対の人形で、雛人形として初節句の贈り物にも
喜ばれている。
その他大内塗の製品としては大内盆・菓子鉢・銘々皿・硯箱・重箱・花
瓶・花器・文庫・色紙掛・吸物椀・会席膳・茶托・箸箱などがあります
が、その製作過程は木地製作と漆塗りに分かれておりそれぞれの製作に
関わる職人は、木地師、塗師と呼ばれています。
天然木に大内朱と呼ばれる渋い朱色の漆を重ね塗り、表面に秋の草花
を手描きして、大内氏の家紋・大内菱を金箔であしらった模様が特徴。
1989年(平成元年)国の伝統的工芸品に指定。
次は、赤間硯です。
赤間硯
赤間硯の歴史は古く、建久2年(1191年)に鶴岡八幡宮に奉納されてい
た供え物に赤間硯があったそうです。
毛利氏の時代には長州藩の特産品として参勤交代の贈り物などとされ、
大変貴重な品であった。
赤間石は材質が硬く緻密で美しい文様があり、しかも粘りがあるため細
工しやすく、硯石として優れた条件を持っている 。
明治時代の初期から中期、厚狭周辺及び下関には、赤間硯職人が200~
300人おられました。
書道が広く多用されていた時代で赤間硯の長年の歴史の中でも、一番に
生産が盛んだったそうです。
昭和52年に伝統的工芸品に指定されました。
硯以外に箸立て・ペン置き、他にいろいろ小物があります。
伝統工芸品の多くが、後継者不足となっているように、採掘する期間が
無収入で、多くの手間や費用がかかるわりには収入が少なく、景気に左
右される美術工芸品ゆえ、後継者が育ちづらい問題があります。
次は、萩焼です。
萩焼
萩焼とは山口県萩市・長門市で焼造されている陶器です。
桃山時代の天正~慶長年間(1573~1615)萩藩主毛利輝元が朝鮮半島
から帰化した、陶工の李勺光(深川焼)・李敬(松本焼)兄弟に御用窯
として開窯させたのを発祥とします。
萩焼の特徴としては吸水性が高いため長年使っているうちに「茶馴れ」
や「萩の七化け」と呼ばれて親しまれています。
形や装飾の簡素化があります。
絵付けは、行なわれません。
胎土となる土の配合、釉薬のかけ具合 へら目などが登り窯の作用によっ
て様々な表情を想定した上で魅力を活かすように
作られているそうです。
萩に行かれたら萩焼ろくろ体験で世界に一つだけのオリジナルの器を
造って見ませんか?
萩焼の作家が、1対1で指導してくれるそうですよ。
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