動かない足が…なぜか動く 足が不自由な人の車いすの常識破り、驚きの「足こぎ車いす」コギー

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足元にペダルがついた車いす。

6月に開かれたその試乗会では参加者は全員足こぎ車いす初体験の人々だった。

普段は電動車いすを使用している丸田愛子さんは筋ジストロフィーを発症し、長年車いすを使用して生活している。

しかしこの車いすに試乗すると足を動かすことに成功した。

次に先天性の障害で体のバランスが取りづらい豊田さんは足が悪いと言うが、試乗してみると車いすを漕ぐことが出来た。

そのことに自身も驚いていると語った。

その名前はコギー。

半身麻痺などの足が不自由になった人のための発案で作られた。

漕ぐことができる理由に人間の体の中にある足を動かそうとする本能を刺激して足を動かせるという。

それは歩行反射といって、生後間もない赤ちゃんでも足を床につけて歩行する行為のことだという。

コギーは歩行反射ができやすいようになっていて右足でペダルを踏んだ刺激が、反射として左足に伝わる仕組み

脳からではなく反射で漕ぐことができる仕組みだ。試乗会に参加した4人は全員こぐことができた。

さらにコギーを使う人は障害のある人だけではない。

愛媛県の介護施設では、足腰の弱った高齢者がやってくるが車いすの人やなんとか歩ける人など様々な人たちがいるが、この日開かれたのはコギーの運動会この施設では10年前からこのコギーを導入している。

今では7台を所有している。

高齢者の筋肉維持に加え怪我や病気で足腰が弱った人に成果をあげている。

東澤さんは腰の骨を折る怪我をし、寝たきりになると言われたという。

しかしコギーがそれを吹き飛ばしてくれたという。

東澤さんはコギーによって生きる喜びを感じている様子だった。

特別養護老人ホームうらやすではそのコギーの開発をする人物がいた。

10年前の古いタイプのコギーのメンテナンスをしていたのはTESSの社長の鈴木堅之。

創業は2008年で以来13年間ベンチャー企業のトップを務めるがその経営は儲かっていないというが儲かる仕事とは思っていないという。

これまでにないリハビリにもなる車いすなのになぜ儲かっていないのか?

TESSの本社は仙台市内にあるが、従業員数は社長を含めて4人だという。

病院などで使用される一般的な車いすは15万円前後が相場。

一方でコギーはその倍以上の値段になるという。

これまで13年間で売れたのは1万台。

厳しい経営がずっと続いている。

営業活動も積極的に行っていて、この日は青梅慶友病院で営業活動。

パンフレットでも伝わらず乗ってもらうのが1番だという。

好感触は得られるが購入に到るまでハードルは高いという。

アメリカでは医療機器の認定を受けたコギーだが、日本ではあくまでリハビリ用として扱われ なかなか理解につながらないという。

鈴木は専門家になるほど足が動くことそのものがありえないと思われるので伝わりにくいという。

こうした世間との常識の戦いになってくるという。

こんな現状を変えようとやってきたのは家電量販店のビックカメラ 有楽町店へ。

これまでは複素関係の専門店中心だったが今年にビックカメラでの販売にこじつけた。

驚きのエピソードが続々! 足こぎ車いすの実力とは…

兵庫県宝塚市には小ギーのおかげで奇跡的な回復を見せた人もいた。

ドラベ症候群という難病を生後4ヶ月で発症し重度の知的障害をもっている林さんは30歳前後で歩けなくなると宣告され、実際に20歳を超えると歩くのが難しくなった。

しかしそんな時に出会ったのがコギーだった。

リハビリをした結果30歳で歩けなくなると言われた足で28歳で1キロマラソンを完走できるようになった。

スタジオでは小池栄子が実際に車いすに試乗した。

小池栄子は普通の車いすとコギーを試して、コギーの快適さを実感した。

コギーで実感する喜びを紹介。

動かない足が動くというが、鈴木はどれくらいまで漕げるのか?については脳梗塞の後遺症で半身麻痺になった人などは、片足が全く動かない人でも漕ぐことが可能だという。

さらにコギーは頚椎損傷などでなく足腰が弱っている人が乗っても良いという。

また足が動いている状態でも予防のためにのる人もいるという。

また自分の力で動き回ることのできる喜びがあるというが、電気の力ではなく自分自身の力で漕げることに一歩踏み出せるという。

また値段については高いと言うが、介護保険の社会保障制度を使えば1割負担のレンタルも可能でレンタルの場合は一ヶ月1500円程度で借りる事ができるという。

村上はその素晴らしさをもっとテレビなどで伝えた方が良いと答えた。

コギーで人生が変わった!外出が楽しくなる独自技術

東京都・武蔵野市に住む堀江奈穂子さんは11年前に脳出血で倒れ、右半身に麻痺が残った。

以来外出を控える生活を続けていたが今ではコギーで移動するようになった。

そのため自分から街へでるようになり、コギーは小回りができるので狭い通路の店でも自由に動くことができる。

夫婦で旅行にいくことも出来、また1人でランチにも出かけられるようになったという。

他にも気持ちの変化にも表れ、不自由になった自分を認めることができなかったというが、コギーで生活がほぼ昔と同じようにできるという。

小学校教師から営業マンに 常識と闘う孤高の経営者

鈴木は1974年に静岡県で生まれた。

中学生の時に貧しい農民を支援し続けた宮沢賢治にあこがれて岩手の大学に進学した。

27歳で教師になり、山形の小学校で働き始めた。人生の転機には、受け持ったクラスには車いすの男子生徒がいたという。

その子は他の生徒がドッジボールなどをしにむかうと一人ぼっちになっている様子をみていたという。

放課後の職員室でみたテレビに釘付けになったというが、今まで歩けなかった女性が車いすでスイスイ走り出す映像が流れた。

その車いすをもっと知りたいと思ったというが、開発にあたったのは東北大学医学部の半田康延教授。

この出会いが運命をかえる。

足の機能を再び動かせる研究に感銘を受けて、教師をやめて半田教授らの研究を実業家するためのベンチャー企業に転職した。

足こぎ車いすの営業マンになったという。

鈴木が当時売り込んでいた車いすは重量80キロで価格は300万円だった。

おもに病院や介護施設に売り込んだが、そもそも足が動かない人のための足で漕ぐ車いすが理解されず門前払いに。

さらに重さや価格もあって商談にも至らないケースが多かったという。

その状態で4年が経過し、大学ベンチャーはあっけなく倒産した。

倒産・震災で存続の危機! それでも諦めない不屈の男

鈴木は足こぎ車いすを売り込むため大学ベンチャーの企業に転職したが倒産してしまった。

しかしその後諦めず、教師をやめた時の退職金、コツコツためた貯金をはたいて2008年にTESSを創業した。

真っ先に取り組んだのは重さの改良。

80キロあった車いすは1人で持ち上げるには難しい。

そこで軽量化し、安くすることをはかった。

しかしメーカー探しは難航し、足でこげる車いすというものにそもそもそんなわけがないと門前払いだった。

そんな中で引き受けてくれたのはOXエンジニアリング。

パラリンピックなどで使用される競技用車いすをオーダーメイドで作る職人集団。

創業者の石井重行さんが事故で足の自由を失っていたこともあり、軽量化の設計をひきうけてくれたという。

担当したのは飯星さん。

国枝慎吾選手や多くのパラスポーツの車いすを作ってきた職人。

鈴木が来た時の10年前のやりとりを覚えていたという。飯星さんは重量を15キロにしてみせた。

2009年に足こぎ車いすを販売すると発売から半年で500台売れた。

その事業は軌道に乗ったとみえた頃に東日本大震災が発生。

鈴木の会社やその仙台周辺も甚大な被害に見舞われた。

売り込もうと考えていた病院や施設も車いすの購入を検討するどころではなくなった。

ピンチをチャンスに変えた 無償貸し出しの舞台裏!

鈴木は東日本大震災から2ヶ月後に被災地に車を走らせた。

宮城県・閖上地区を訪れたがその街並みは変わり果てたという。

被災地の避難所を回った鈴木はコギーの無償貸し出しを行った。

避難所生活では、運動不足から寝たきりになる高齢者が増加しやすくこれで運動をとコギーを持ち込んだ。

その出来事が売上につながった。

当時コギーを貸し出した施設では今も使われている。

このことで売上は回復した。

鈴木はOXエンジニアリングで作った軽量化した足こぎ車いすを営業先に持っていった時に、障害のあるひとが試乗した際に動きだした時にその場にいた人が笑顔になったという。

そのことでメーカーも一緒にやってくれると決めてくれたという。

さらに宮沢賢治については憧れだけで東北に来たというが、農民を支援する姿勢のように自分もしたことが次に残せると言う想いで仕事をしていると答えた。

ロボットスーツと連携!? 新たな価値を生む新戦略

神奈川県藤沢市の湘南ロボケアセンターで活躍しているのは歩行機能を回復するロボットスーツのHAL。

さらにコギーもあった。

神奈川県藤沢市の湘南ロボケアセンターの田北さんは脳性マヒがあり体のバランスがとれない。

一年前からここに通っている。

そこではコギーを使用し、体幹などが鍛えられロボットスーツとの走行効果が期待できるという。

編集後記

村上は今日の総括に「足が不自由な人が乗るのが車いす」という常識がある。足で漕ぐ車いすコギー、ただ乗る人はみな喜んでいる。

設計したのは、パラリンピックの競技用車いすを手掛ける、技術力を誇るメーカー。

デザインも素晴らしい。

車いすのF1 のようだ。企業から13年が経ち、認知度も高まって国内外で1万台に達した。

しかし圧倒的に少ないと思う。

いろいろな意味でPRが足りない。「足が不自由な人が乗るのが車いす」という常識をくつがえす必要がある。

常識を覆すのは恐ろしく大変だ。とした。

*この記事は、テレビ東京のカンブリア宮殿から引用しました。

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