「会津磐梯山は、宝の山よ~」の民謡で有名な福島県の磐梯山は、その山
頂からは、日本で4番目に広い湖、猪苗代湖が見えます。別名 天鏡湖と
言われています。猪苗代湖は、日本百景に選定されています。また白鳥の
飛来地としても知られています。これから、福島県の工芸品の話をさせて
いただきます。
会津塗
有名な会津塗は、海外でも良く知られています。さて、会津の地に漆工芸
が根付いたのは天正18年(1590年)豊臣秀吉の命を受けて 会津の
領主となった蒲生氏郷が、産業として奨励したそうです。氏郷公は、前の
領地であった滋賀県から生地師や塗師を呼び寄せて伝授させ それにより
会津塗の技術は飛躍的に進歩を遂げ漆の栽培から加飾(かしょく)まで一
貫して手がける一大産地となりました。江戸時代には、会津藩祖 保科正
之(ほしな まさゆき)公が漆の木の保護育成に努め、歴代藩主が技術革
新に熱心に取り組み、中国 オランダへも輸出されました。しかし戊辰戦
争では、会津漆器は、壊滅的名な打撃を受けたそうです。
しかし 明治中期には、会津塗りは、日本有数の漆器産地として知られる
ようになりました。
会津塗の技法には、黒や朱色の無地と文様が描かれているものとがありま
す。文様を入れることを加飾と言われています。文様には、錦絵のほかに
沈金、漆絵、螺鈿の4種類あります。
①錦絵
漆の特性である接着性を応用した技法 漆で文様を描き、乾かないうち
に金、銀などの金属粉や朱、黄などの色粉を蒔いて文様を描き出す技法
②沈金
仕上がった漆の表面を文様の輪郭に沿ってノミで彫り、そこに漆を摺り
込み金箔h押し込んで拭い取り文様を描き出す方法
③漆絵
貝殻の光を放つ部分を薄くきり 漆の表面にはめ込んで文様を描き出す
方法 はなやかなイメージに仕上がります。
会津塗は、大切に使えば子供から親、孫まで代々伝えていけると思いま
す。それだけ作られる方々の手間や丁寧さがこもった作品です。
赤べこ
ゆらゆらゆれる首、あいらしい顔立ち 赤べ湖は、会津の民芸玩具の代表
です。天正年間 蒲生氏郷が殖産振興のために招いた技術者から伝わった
のが始まりで平安時代に蔓延して疫病を払った赤い牛が由来だそうです。
赤い色は、厄除けになり 牛のことをベコと言います。赤べこをもってい
る子供は、災難から逃れると言われています。
大堀相馬焼
江戸時代の元禄年間(1688~1703年まで)に中村藩士の半谷休閑
が大堀(浪江町大堀)で陶土を発見し、下男の左馬に命じ日用雑器を焼き
始めたのが最初です。今の浜通り北部は、江戸時代の中村藩でした。中村
城下の相馬駒焼は、藩主相馬氏への献上品とされたのに対して、大堀相馬
焼は、大衆向けの民窯として親しまれた。中村藩は、陶磁器を特産物として
奨励したために江戸時代末期には100軒近い窯元があり 中には農業
と兼業もあったそうです。大堀焼は、戊辰戦争後にすっかり衰えたが、第
二次世界大戦後に再興され、1978年には、国の伝統的工芸品の指定を
受けました。素朴な味わいの中にも ぬくもりと親しみのこもった やさ
しさが感じられ一度見たら忘れられない強い個性をもった焼き物です。
「青ひび」、「走り駒」、「二重焼」という三つの特徴があります。
しかし2011年3月11日東日本大震災により多くの方が犠牲になられ
たこと 心からお悔やみ申し上げます。福島第一原子力発電所事故により
原発から10kmに位置していた大堀は、強制退去を余儀なくされ、協同
組合もろとも二本松の小沢工業団地内に移転しました。
それぞれの方々の心の復興には、まだまだ時間がかかると思いますが、皆
様 自分の体を大事にしてくださいね。少しづつ 笑顔が出てきますよう
に祈っております。
コメント