
長崎市、平和公園からほど近い場所に鎮座する山王神社。そこに樹齢500年を超える2本のクスノキが、どっしりと根を張り、静かにたたずんでいます。
1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された日。爆心地からわずか800メートルの距離にあったこのクスノキも、凄まじい爆風と熱線にさらされました。幹は引き裂かれ、枝葉は焼き尽くされ、誰もが「もうダメだろう」と思ったはずです。しかし、その翌年、焦げた幹から新芽が芽吹き始めたのです。
この「奇跡の生命力」は、絶望の淵にいた長崎の人々に、どれほどの希望を与えたことでしょう。被爆クスノキは、戦争の悲劇を物語る生き証人であると同時に、力強く生きる希望の象徴として、長崎の人々の心に深く刻まれていきました。
そして被爆から80年という節目を迎える今年、長崎市出身のシンガーソングライター・福山雅治さんが、このクスノキをテーマにした楽曲「クスノキ」を再録し、あらたな息吹を吹き込みました。それが「クスノキ−500年の風に吹かれて−」です。この記事では、被爆クスノキの壮絶な歴史と、福山雅治さんがこの曲に込めた深い思い、そして被爆80年を迎えた長崎の街に広がった平和の輪について、詳しく掘り下げていきます。
奇跡の木「被爆クスノキ」が語りかけるもの
長崎市坂本町にある山王神社の被爆クスノキは、国の天然記念物にも指定されている貴重な存在です。しかし、その価値は単なる文化財にとどまりません。クスノキが持つ物語が、多くの人々の心を揺さぶり続けているからです。
原爆投下後、山王神社のクスノキは幹が大きく裂け、枝もほとんどが吹き飛んでしまいました。その傷跡は今も生々しく残っており、原爆の破壊力をまざまざと伝えています。しかし、その傷を抱えながらも、クスノキは力強く再生しました。新しい枝葉を広げ、ゆっくりと元の姿を取り戻そうと、今も成長を続けています。
戦争の記憶は風化しやすいものですが、被爆クスノキは言葉を持たない「語り部」として、その過酷な体験と、そこから立ち上がった人々の強さを、静かに、そして雄弁に伝えています。その姿を前にしたとき、私たちは「生きる」ことの尊さ、そして「平和」への願いを、自然と感じ取ることができるのです。
山王神社の境内では、折れてしまった枝を加工した記念品や、「大くす守」といったお守りが授与されており、多くの人がクスノキの生命力と平和への祈りを持ち帰っています。被爆クスノキは、長崎の平和学習においても欠かせない存在となり、子どもたちに戦争の記憶と平和の尊さを伝える役割も担っています。
福山雅治がクスノキに託した思い
福山雅治さんは、幼い頃からこの被爆クスノキを身近に感じて育ちました。地元長崎のシンボルであるクスノキに、特別な思いを抱き続けてきた福山さんは、2014年にアルバム『HUMAN』の中で楽曲「クスノキ」を発表します。
この曲は、被爆の悲劇を乗り越え、再び芽吹いたクスノキの姿を通して「命の尊さ」と「平和への祈り」を表現した作品です。歌詞には、幼少期に見た故郷の風景、そしてそこに息づく戦争の記憶が織り込まれており、長崎に生まれ育った福山さんだからこそ歌える、リアルで切実なメッセージが込められています。
楽曲の制作にあたり、福山さんはただ歌うだけでなく、具体的な行動を起こしました。楽曲の収益の一部を「長崎クスノキプロジェクト」や「クスノキ基金」に寄付し、被爆樹木の保存活動や苗木の育成、そして平和学習に役立ててきたのです。この活動は、単なるチャリティーにとどまらず、音楽の力で平和のメッセージを広げ、未来へつなげていくという福山さんの強い意志を表しています。
そして迎えた被爆80年という節目の年。福山さんは、このメッセージをより多くの人に、より力強く届けるため、新たな試みに挑みました。それが、楽曲「クスノキ」を壮大なスケールで再録した「クスノキ−500年の風に吹かれて−」のリリースです。オーケストラや合唱を加え、楽曲の持つスケールを最大限に拡大したこの新バージョンは、福山さんの平和への祈りが、さらに深く、広く響きわたる作品となりました。
音楽の力で広がる平和のメッセージ
2025年6月30日にデジタル配信限定でリリースされた「クスノキ−500年の風に吹かれて−」は、音楽の枠を超え、長崎の街全体を巻き込む大きなプロジェクトへと発展しました。
NHKの人気番組『みんなのうた〜ひろがれ!いろとりどり〜』では、絵本作家のjunaidaさんによる幻想的な絵画をアニメーション化した映像が放送され、楽曲の世界観をより深く、視覚的に表現しました。junaidaさんの描く優しく力強いタッチと、福山さんの歌声が重なり合い、世代を超えて心に響く作品となりました。長崎県美術館ではこの原画の展示会も開催され、多くの来館者がその美しいアートと音楽の融合を体感しました。
さらに長崎市内では、ラッピング電車「クスノキ号」が運行を開始。電車内には被爆クスノキや楽曲の解説パネルが掲示され、市民や観光客が移動しながら平和のメッセージに触れることができるようになりました。長崎の街全体が、音楽とアート、そしてクスノキの物語を伝える舞台となったのです。
これらの取り組みは、福山雅治さんが被爆クスノキに託した思いが、単なる楽曲のヒットにとどまらず、長崎の文化、観光、教育、そして人々の心をつなぐ大きな力となっていることを示しています。音楽が持つ力を最大限に活用し、平和のメッセージを多角的に発信する新しい試みとして、国内外から大きな注目を集めています。
被爆80年の平和祈念式典に響いた歌声
2025年8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典は、被爆80年という特別な節目を迎えました。その式典で、感動的な瞬間が訪れます。式典の終盤、長崎市立城山小学校と山里小学校の児童たちが合同で「クスノキ−500年の風に吹かれて−」を合唱したのです。
澄んだ子どもたちの歌声は、静まり返った式典会場に響き渡り、参列者の心に深く染み渡りました。多くの方が涙をこらえきれず、目頭を押さえる姿が見られました。この子どもたちの合唱は、被爆クスノキの生命力と平和への誓いを、未来の世代へ確かに引き継いでいく象徴的な出来事となりました。
式典の他にも、長崎市内では様々な場所で平和を願うイベントが開催されました。J2リーグのサッカークラブV・ファーレン長崎が主催した「平和祈念マッチ」では、試合前に選手と観客が一体となってこの曲を歌い、スポーツを通じて平和のメッセージを発信する新しい試みとなりました。
福山雅治さんが音楽に込めた平和への思いは、今、長崎の子どもたちやアスリート、そして市民一人ひとりの心に届き、被爆80年という歴史を未来へとつなぐ力となっています。この取り組みは、過去を振り返るだけでなく、未来に向かって平和を継承する新しい形を提示していると言えるでしょう。
未来への継承:平和の使者「クスノキ」
山王神社の被爆クスノキは、被爆から80年以上の時を経ても、今なお力強く長崎の街を見守り続けています。この貴重な木を守り、未来へ引き継ぐために設立された「クスノキ基金」や「長崎クスノキプロジェクト」は、福山雅治さんの楽曲収益や市民からの寄付を元に、様々な活動を展開しています。
具体的には、被爆樹木の保存作業や、そこから種を採取して苗木を育てる活動が行われています。育った苗木は「平和の使者」として、全国の学校や自治体へ贈られ、植樹されています。これらの活動は、長崎から遠く離れた場所でも、クスノキの生命力と平和への願いを共有し、戦争の記憶を風化させないための大切な試みです。
「クスノキ−500年の風に吹かれて−」は、この平和継承活動の象徴的な存在として、多くの人々に活動への関心を持つきっかけを与えています。また、長崎市や観光団体も、このシンボルを活かした平和学習ツアーやアートイベントを企画しており、音楽・アート・観光・教育が一体となった、長崎発の新しい平和発信モデルとして注目を集めています。
被爆から80年を超えても、クスノキは立ち続け、破壊を乗り越え、再び芽吹く生命力と、人々が未来へ託す平和の希望を体現し続けています。その姿は、私たちに「平和」とは何か、そして「命」の尊さとは何かを、静かに問いかけているのかもしれません。
被爆クスノキと福山雅治さんの歌が織りなす平和の物語は、これからも多くの人々の心に響き、未来へと受け継がれていくことでしょう。
